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たったひとつ大切に想うもの
75

 濡れた、温かい中に、今度はすぐに捜し物が見つかった。僕のよりも厚い舌は、僕が触れたら怯えたように逃げていった。
 逃げられたから、どうして? と思い、いったん体を離して顔を覗いた。少し戸惑ったように僕を見つめる瞳が「いいのか?」というように瞬いている。昔からキスをする前にはこうやって僕の許可を待っていたのを思い出す。
 ああ、そうか。僕が許可をしていないから、戸惑っていたのかとおかしくなった。大人のキスは、僕がいいと言うまで駄目だと言った。それを律儀に守ろうとしているらしい。
「……許可……する、から」
「りく」
「……して」
 今度は引き寄せられて、迎え入れる形になった。優しく後頭を抱えられ、開けた唇に波瀬さんが入ってきた。自分から差し出して吸ってもらう。
「……ん」
 ひらひらと動かせば、それに合わせて踊るように沿わせてくる。絡ませたまま息継ぎをし、また合わせる。軽く下唇を噛まれて、お返しに上唇を噛み返した。飲みきれなくなった唾液が顎を伝う。片手で頭を抱き、もう片方で僕の頬を撫でていた太い指が、それをすくった。
 は、あ、と息を漏らして離れた唇は艶やかな糸でまだ繋がっていた。
 離れると寂しくて、また合わせる。
 啄むように軽く触れ、濡れた唇を舌先でペロっと舐める。横に引いて、笑む口端に、こちらも笑んだまま口づけた。飽きずに何度も重なった。
 どうしてこれが怖いなどと思ったのか、今では不思議に思う。
 こんなに気持ちが良くて、愛しいと思う気持ちがちゃんと伝わってきているのに。あの時だってそれは分かっていたのに。
 離れていた時間を埋めるように何度も重ねるうちに、勿体ない事をしたと惜しむ気持ちが生まれる。
 僕が拒んでいるあいだに、この唇がひととき誰かのものになったと思うと、悔しさがわき上がる。
「……した?」
 両手で顔を挟んだまま、蕩けるような視線を向ける波瀬さんに尋問をする。
「こんなキス、あの人にも、した?」
「陸……」
 困ったような顔をして、波瀬さんは誤魔化すように、もう一度口づけをしてきた。
 ふうん。したんだ。
 一旦離して凝視したら、波瀬さんはまた小さく「ごめん」と言った。
「もう、しないから……それに、陸の他は全部一緒だ。何とも思わなかったし、どうでもいい」
「波瀬さんって……」
 この人は本当に、優しさと、残酷さを同時に持っている。怖い人だ。だけど、その怖い波瀬さんが一番怖がっているのが僕を失う事だと言う。
「陸」
 絡めた指にキスをされた。さっきされたのとは明らかに違う、情愛の籠もった愛撫だった。
 掌に押しつけられた唇が滑り、親指を含んだ。根本を軽く噛んで、噛み痕を癒すようにチロチロと舐め取る。全ての指を同じように辿り、見つめられながらもう一度掌をベロッとなぞられて、背中がぞくりと粟立った。
 下着だけの彼の体が、僕のパジャマ越しにその熱を伝えてくる。
「あ……」
 思わずその下肢に目を落とすと、波瀬さんはまた「ごめん」と言って僕から離れた。
「何もしないよ。嫌な事も怖がることもしない。陸だけがいればいいから」
 そう言って笑うと、「一緒に寝てくれるだろう?」と自ら横になって、僕が入るスペースを空けてくれた。
「でも……」
 それ、どうするの? だってつらそうだし。それに……僕だってもっと、したい。







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