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さよならの前に君に伝えたかったこと
15

 それは不思議な感覚だった。
 温かい。
 手を伸ばしても触れるはずのないそこに、確かに温かさを感じた。
 永い間、感じたことのなかった感触。触れたという感覚。肌の温かさ、伝い落ちる涙の濡れた感じ。不思議だ。
「圭吾、泣くな」
 俺の言葉を孝介が伝えていた、その時間差がない。言葉がそのまま音となって響く。どうしたんだろう。
 伝わる感触を追った視線が圭吾の顔へ移る。触りたいと思った手がそのまま圭吾の頬を挟んでいる。視線がぶつかる。
 ぶつかる? 
 なんで? 
 見えないはずの俺と圭吾の視線が合うはずがない。さっきまで顔を向けてくれてはいても、目が合うことなんかなかったのに。
「あれ?」
 もう一度声を出してみる。やっぱり時間差がない。俺がしゃべった言葉がそのまま口から発せられる。変だ。そんなはずはない。俺の声が音になっている。
 これってもしかして、憑依っていうやつ? 俺、孝介の体を乗っ取っちまったのか?
 これ、やばくない? 俺、出かた分かんねえよ。どうしたらいいんだ?
 不意に、孝介だと思っている奴に顔を掴まれて、圭吾も驚いている。涙も引っ込んだ感じだ。
 手を放して立ち上がってみた。床の感覚がある。ふわふわと浮いていたのが、今はどっしりと重い感じがする。初めて重力っていう存在を意識した。
「なあ、俺、何に見える?」
「ええと、吉川……だろ? でも、ちょっとさっきと違う感じがする。表情とか」
「だよな。あれ? 俺、どうしよう」
「祥弘、なのか?」
「そうみたい。つか、中入っちまったみたい、俺」
 じっと手を見る。動かすと、動かしたいと思った通りに動く。不思議だ。
「ええと、困った。どうしよう?」
「どうしよう……って本人は? どうした?」
「わかんねえ」
 当惑したまま圭吾を見る。圭吾もどうしていいのか分からないらしい。そりゃそうだろう。
 二人でしばらく見つめ合った。視線が合う。今までどんなにここにいると訴えても分かってもらえなかった圭吾が俺をじっと見ている。外見は俺じゃないけど、でも、圭吾が俺を見てくれているという実感が俺の胸を熱くした。  
 今はその熱ささえ、リアルに感じることが出来るのだ。
「手、貸して」
「え?」
「なんでこうなったかは分かんないけど、でも、いつまた体が無くなるか分かんないからさ。今のうちに、感触……憶えておきたい」
 入ったのが突然なら、出るのもきっと突然だろう。あとで後悔するよりは行動を起こそうと思った。
 望みが叶うとは思っていなかったんだ。今だってすべてが叶うとは思っていない。でも、望んで行動を起こさなければ、また後悔する。  
 ずっと後悔はしてきたんだ。悔やんで泣いてきたんだ。
 欲しいものを欲しいと言って、何が悪い。
「圭吾、手、貸して」
 躊躇いながら、伸ばしてきた手をそっと握った。長い指をひとつひとつ確かめるように手繰って、握った。
 大きな手。大好きだった人の手の感触は、暖かくて、少し硬くて、分厚くて、優しかった。
「でっかい手だなあ。バスケットボールが一掴みだったもんな」
 圭吾は黙って俺に手をにぎにぎされている。圭吾にしてみれば、昨日、今日会ったばかりの高校生の孝介に手を握られているわけだから、戸惑うのも仕方がない。
「気味悪いよな。ごめんな」
「そんなことないよ」
「目ぇ瞑ってていいから。そしたら誰か分かんないだろ?」
 本当はもっと圭吾と目を合わせて話したかったけど、たぶん無理だろう。俺は俺だけど、圭吾にとっては吉川孝介なんだから。
「いや、分かるよ。祥弘」
 圭吾がはっきりと俺の目を見て名前を呼んでくれた。俺の目を見て、笑いながら名前を呼ぶ。
 頬に温かいものが触れた。自分の涙だった。涙って温かかったんだな。知らなかった。


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