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エイジ My Love
3


「ポテチ食いますか? エイジくん」
「おう」
「お茶のお代わりはいかがでしょう?」
「それはいい。まだある。……つか、近すぎ、もうちょっとあっちいけ」
 膝に乗り上げそうな勢いで俺にのし掛かってきて食いもんだ飲みもんだと勧めてくる光一の顔をグイグイと押し返し、距離をとる。
 ゴールデンウイークを控え、学校から出された課題を消化しようと光一の部屋に集まっていた。各学科から出された課題の量は膨大で、それぞれ分担を決めて、協力し合おうということになったのだ。この行事は一年の頃から変わらずに、夏休み、冬休みと共にずっと続いている。
 こいつがスキンシップ過多でベタベタしてくるのは前からだったし、お互いの部屋を行き来しながらの、この辺の会話もすでに慣れているのでどうということもない。光一が言うところのトレーニングというのか、腹筋が今何十回目までいけているのかは分からないが、まあ、あいつの思惑に嵌って徐々に馴らされているのかもしれないし、その辺は少し悔しいところではあるが、なんていうか、極限のところで俺は信用している。この親友は俺が本気で拒絶をすれば、絶対にそれ以上の無理強いはしないという、そんな信頼関係があるのだと思う。
 だから、光一の気持ちに薄々気が付いていても、俺は知らない振りをして親友関係を続けていたし、告白を受けた後でもこうしてふたりで連んでいる。
 それくらいには俺は光一のことが好きだし、たぶん光一もその辺を分かっているだろうなと思う。
「しかしさあ、これ、一週間とかでできるレベルの量じゃねえよ。俺らにいっこも遊ばせない気かよ」
「だよな。あー、もう疲れた」
 じゃれつきながらもなんだかんだお互いの課題を進ませて、いい加減疲れてきた。座ったまま腕を上げて大きく伸びをしながら俺が言うと、光一は「じゃあ休憩しよう」とベッドの上に飛び乗って手招きをしてきた。
「ほら、飛び込んでこい」
 無視してテーブルに置いてあるスナック菓子を食っていると、何事もなかったようにしてベッドからスルスルと降りてきた光一が、一緒になってポテチを頬張った。
「あ、そうだ」と言って、ガサゴソと紙袋を出してくる。
「これ、おまえに」
 袋を開けると、中にはまた袋に包まれた何かが入っていた。リボンが付いている。
「なに? 誕生日でも何でもねえけど」
 いいから開けろってという言葉に促され、恐る恐るリボンを解いた。袋の中身と俺の顔を交互に眺めながら、光一が笑っている。
「……これ、おまえ……」
「喜んでくれた?」
「俺のタオルじゃねーか!」
 光一によって持ち去れた俺のタオルが、洗われてきれいに畳まれて入っていた。
「なんでこういう手の込んだことをするんだよ。プレゼントかと思って一瞬ときめいちゃったじゃねえか。返せ。俺のときめきを」
「『ときめき作戦』成功だな。長いこと悪かったな。返すよ。代わりに今度は体操……」
「やらないから」
「フカフカだろ? 一生懸命洗ったんだぞ。俺自ら」
「ありがとう。捨てていいっていったはずだが」
「いい匂いだろ?」 
 ほら、と顔に押しつけられて無理矢理匂いを嗅がされた。確かにフローラルな匂いがする。
「今度はおまえがこれを使っていいぞ? 遠慮なく」
「遠慮もしねーし、おまえの期待するような使い方はしねーしな。ほら、休憩終わり、終わり」
 もらったタオルをそこに置き、いつまでもふざけている光一にさっさと済ませてしまおうと、教科書を広げた。
「おまえ、古典終わった?」
「んー、あとちょっと」
 光一も再びシャーペンを持ち、問題集に向かっている。手の甲の上でペンをクルクルと回しては、書き込んでいく。その長い指を見つめながら、こうしていれば普通なのになあと考えた。
 体育祭で俄に人気者になっている光一だが、その前からちょくちょく声は掛けられていた。凄い美形というほどではないが、普通に整っている。性格は明るく、一緒にいて楽しいと感じているのは俺だけではないはずだ。この前だって弁当の差し入れとかされて、俺もご相伴に与ったりしている。普通にモテるのに、なんで俺なんだろう。
 そういえば。
「なあ。おまえさあ、入学当時、彼女いなかったっけ?」
「んー? ああ、いたかもな」
「なんで別れたの?」
 別の女子高に通っている同中の一年と光一は付き合っていた。メールを見たこともあったし、そういえばその頃はしょっちゅうデートをしていた記憶がある。
「中学を卒業するときに告白されて、何となく付き合ってみたんだけど。まあ、学校も違うしな。すぐに駄目になった」
「ふうん」
「なに? 過去の女に妬ける?」
「ちげーよ。女子とも普通に付き合えるんじゃねえかと思ってさ」
「うん。俺もそう思って付き合ってみた。けど駄目だった」
「あ、そうなのか」
「うん」
「男しか好きになったことないのか?」
「エイジが好きっ!」
「そうじゃなくっ」
 あははと笑って、光一がシャーペンを置き、またポテチに手を伸ばした。
「女のコもいたなあ、好きとか思ったのは、そういえば。小っさいころは」
 ポテチを頬張りながら光一が天井を向き、思い出すようにして言った。
「いつぐらいからかな。エッチなことに興味を持つ頃になると、具体的に相手を想像するだろ? やらしいことしたいなって思う相手が女子じゃなかった。そんな感じ。中学に入ったら好きだって思う相手も同性だったな。同級生とか」
「ふうん。そいつにも告白したのか?」
 俺が聞いたら光一は「まさか」と言って笑った。
「なんで? なんでまさかなんだ」
「『キモッ』とか言われたら立ち直れないだろ。多感なお年頃だ。告白して引かれるのも恐かったし、そんなこと言ってせっかく築き上げてきた友情を壊すのも嫌だったしな」
「……なんだよ。俺との友情は壊れてもよかったっていうのか?」
 出した声が自分でも憮然としたものになったのに気が付いたが、慌てはしなかった。だって本当に少し腹が立ったから。俺には告白してきて、断ったにもかかわらずますます迫ってくる光一は、俺との友情が壊れても構わないのかと、本気で腹が立ったからだ。
 俺の声を聞いた光一が、こっちを見返してくる。不思議なことでも聞いたように首を傾げ、少し開き気味の唇には笑みが浮かんでいるのが癪に障る。今食ったポテチの欠片が付いている。
「違うだろ。エイジなら、俺が告白してきてもそんなことにはならないって確信したから言ったんだろ?」
 見返す俺の顔を、相変わらず笑ったままの光一が見つめている。
「そりゃ恐かったけどさ。引かれたらどうしようとか思ったし。断られたら凹むなーとも思ったし。でも勇気を振り絞って言ってみたさ。断られる確率は半々だなとは覚悟してたけど」
「半分自信があったってことに俺が驚きだがな」
「あそこまでソッコーで断られたのは驚愕だったな! つか知ってたって言われたのは想定外だった」
「そりゃ悪かったな」
「悪くないよ? 知ってても親友でいてくれてたのかと思ったら嬉しかった。この喜びを俺はキスでおまえに伝えたいと思うんだが」
「思わなくていい」
 どこまで本気なのかが分からない。光一は相変わらず笑ったままだ。
「一緒に弁当食うのも変わらねーし、一緒に帰るのも、遊びに行くのも変わらねーし、こうやって一緒に勉強すんのも変わらねーし。たぶんエイジならそうしてくれるんだろうなとは思ってたけど、やっぱり嬉しいよ」
「や、それは別に。前にも言ったとおり、友だちとしては俺もおまえのことは好きだし、こういう付き合いがなくなるのは嫌だしな」
「うん」
 こっちを見つめる光一の目が、眩しそうに一瞬細められた。俺がこいつのことを最終的に信頼しているのと同じように、こいつも俺のことを、そんなふうに信頼していたんだと思うと、それはなんというか、とても心地好い感覚で、やっぱりこいつといるのが俺にとっては一番自然なことなんだ、なんて思った。
「エイジのことは好きだし、本当は襲いかかりたいけど、まるっきり友だちでもなくなるのは、やっぱり俺も嫌だしな」
「そうだな。ってか、今さらっと襲うって言葉が聞こえたんだが」
「写真も撮らせてくれるし」
「許可してねえけどな」
「タオルも貸してくれるし」
「黙って持っていったんだろうが」
「部屋にも来てくれるし。隙あらば襲いかかりたい……」
「だからときどき心の声が漏れてるぞ」
「だってさあ、おまえ、好きな人が自分の部屋にいるんだぞ! どうすんだよ。そりゃ興奮すんだろうがよ」
「俺に向かってそれを言ってどうする」
「俺だってなあ、健全な高校生なんだよ。いろいろやらしいこととか考えるんだよ。おまえとこの部屋でこんなこととか、あんなこととか、シミュレーションとか五百通りは考えてるわけよ。こう、どうやったらおまえがその気になるかとか、ずーっと作戦練って、ムードとか作り上げようとか、工夫しようと思うんだよ! おまえ、高校生の性欲舐めんなよ」
「舐めてねえし、俺だって高校生だし、性欲あるし。つか、今までの流れを考えて、いろいろとぶち壊してんのはおまえのほうだと思うけどな、俺は!」 
 まったく、いきなり興奮してきて何を言っているのかと思う。しんみりして、ちょっとなんかこいつのことを見直したというか、こいつと友だちになれてよかったとか、心温まったのが台無しになってんじゃねえか。
 こっちに向かって捲し立てている口元にはまだポテチが付いている。そんなものを付けたまま好きだだの襲いたいだのと言われても、全然現実味がない。
「ほんとさあ、そのアップダウンの激しいの、勘弁してくれ。ほら、宿題、続きやっつけちまおうぜ」
 腕を伸ばして光一のほっぺたにくっついたままのポテチを自分の指先に掬って乗せた。
「口説かれるのも慣れたけど、そういうときはもうちょっとなんつーの? ちゃんと順序立てて迫ったほうがいいと思うぞ」
 指先に付いたポテチをそのまま自分の口に持っていく。パクンと中に放り込み、油の付いた指を、さっき返してもらったタオルで拭いた。
「いや、俺を口説けっていうんじゃなくて。今後のおまえのための助言だこれは。とにかくいきなり興奮するのは勘弁してくれ」
 ポテチが取れてもまだ頬の辺りに塩がついているのをついでにタオルで拭いてやる。光一は固まったまま俺にタオルで顔を拭かれていた。
「……エイジ」
 なんだ? と見返したら光一がズイ、とこっち側に寄ってきた。
「なんだよ」
「あのさ、俺……」
 急に近づいてきたから床に尻を付けたまま後ろにずれる。その分光一も寄ってきて、部屋の壁に背中がぶつかった。後ろに行くことができなくなったのに、光一がまた近づいてくる。
「なにっ?」
 すぐ目の前にやってきた光一の手が伸びてきて、眼鏡を取られた。
「え? え?」
 光一の顔が接近してくる。
 キスを――されるのかと思い、ギュッと目を閉じた。
「……ちょっといいこと考えたんだけどさ」
 触れてくるはずのそれは、唇には当たってこない。代わりに、もの凄く近くから、光一の声が聞こえた。
「なに?」
 キスじゃないのか、なんだ。と思い、いやいやいやと、首を振った。くるかと思っただけで、こなかったといってガッカリしたわけじゃない。ただくるかと思っただけだ。つか、なんでしてこない? いや、違う、違う。つか、近すぎ。やばい。
 思考が混乱し、恐慌を来していた。光一はそんな俺を覗き込むように見てくるから、ますます慌ててしまい、どうすればいいのかが分からない。
「い、いいことってなんだよ。ちょ、近い。どけって」
「……すげぇ、いいこと」
 ずり上がりながらそんなことを聞く俺を見た光一が、薄く笑った。
 腹筋は今、何十回目まできているんだろう。







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