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エイジ My Love
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「おまえさ、エイジ、どれくらいしてない? セックス」
「えっ?」
 超至近距離で、いきなり「セックス」なんていうきわどいセリフを聞いて、何が何だか分からない。
「おまえも前にいたよな、彼女」
「あ、ああ」
 一年のとき、同じ委員会で仲よくなった先輩と、なんとなくそんなことになり、付き合ったことはある。なんとなく親しくなり、なんとなく校外でも会うようになり、先輩の卒業と共に、それもなんとなく終わった。付き合っていたときにはその先輩のことが好きなのかなと自分でも思っていたが、だからといって卒業してからも続くとも思えず、特に続ける努力もしていなかったように思う。
「どうだっけか」
 卒業後の春休みにも何度か会ったりしていたが、その後自然消滅した。向こうも大学に進学して新しい彼氏でもできたんだろうし、こっちもこっちで光一と連んで遊んでいたりするうちに、普通の日常生活に戻っていた。
「ええと……」
 混乱したまま指を折って数えてみる。
「一年と……ちょっと?」
 先輩と別れたあとも、なんとなく彼女、みたいなのができたことはある。だけどセックスまでは至らずに終わっていた。共学だし仲よくなる機会はあっても、じゃあすぐにやれるかというと、そんな機会も、場所の確保も難しい、高校生の現状だった。
「俺さ、したことないんだよ、実は」
「そうなの?」
 したことがないという光一の言葉に反射的に答えたが、あり得ることだとは思った。光一ははっきりと好きになるのは同性だと言った。彼女ができても無理だったと。俺はそうじゃないが、それでもそんなに経験が多いということはない。一部の連中を覗けば、高校生なんてそんなものだろう。まして、光一みたいなのはもっと難しいだろうなと容易に納得できた。だいたいこいつはずっと俺のことが好きだったことを、俺は知っていたし、俺というものがありながら、セックスだけは別のやつとするなんてことはできないことも、知っている。
「やってみたい、俺も」
「あ……、っ、いや、しかし……」
 やってみたいとか言われても、俺に相談されても困る。つか、どうなの? 相談なの? やりたいっていう決意表明なのか。俺、俺と? やりたい、てか、やるの? マジで?
「そんでな、ちょっといいこと考えついたんだけどさ」
「だからなにっ?」
「俺はやりたいわけ、おまえと。んでな、おまえだってさあ、溜ってるわけよ。ほら、一度経験してその蜜の味を味わっているからさ、その辺は俺よりも切実だと思うんだな」
「いえいえ、ぜんっぜん切実じゃないですが!」
「高校生だろ! やりたい盛りなんだよ。おまえだって性欲あるっつっただろうが」
 壁に背中が付いたまま、動けないでいる俺の前に陣取った光一が、俺のタオルを取り上げた。手に取ったタオルを二つに折り、それを更に二つに折る。「だからな」と言いながら、細長くなったタオルを、パン、と両端を引いて伸ばした。
「なにすんの? ……なにすんのっ??」
「こうしてさ……」
 戦いている俺の目の前に、紐状になったタオルが近づいてくる。光一がたっぷり使ったという柔軟剤の甘い匂いと共に、それが顔の前にやってくる。
「目隠ししてたら分かんなくね?」
「わ、分かんなく……? って、え、や、ちょっと」
 タオルが瞼に当てられて、視界を塞がれる。慌てて取ろうと思い、腕を浮かせた俺のすぐ横で、また光一の声がした。
「前の彼女でもいいし、別の女でもいい。そういうのを想像しててみ? それでどうだ」
「どうって……無理……っ」
「ちょっとだけだから! ほんの触り。マジで、マジで」
 必死に懇願してくる光一と、いやいやいや、無理だってとタオルを当ててくる手首を掴む俺。ふたりの攻防が始まった。
「声とか出さないし。別のこと考えてていいから。おまえも気持ちいいし、俺も本懐を遂げられる」
「本懐て……」
「一石二鳥だろっ?」
「おまえのいい考えってそれなのかよ!」
 まったく碌でもない。どうしていきなりこうなった? 段階踏めって言ったはずなのに、腹筋を百回こなしたところでいきなり鉄球を腹の上に落としてくるようなものじゃないか。いくらなんでもいきなりすぎる。キスでもしてくんのかと身構えれば、目隠しプレイとか、こいつの思考回路はどうなってんだ。
「マジで……。絶対に声、出さないから」
 掴まれている手首はそこから動かない。諦めもしないけど、かといって強引にタオルを回し、結んでこようともしてこない。
 俺が、ここではっきりやめろと拒絶をしたら、たぶん光一は止めてくれる。こいつはそういう奴だ。だからこの手を強く押し返せばいい。
「エイジ」
 名前を呼ばれ、それでもどうしていいのか分からなくて動けない。
 止めろと強く言ったらこいつは止める。タオルを外されて、それからどんな顔をすればいいんだろう。ふざけんなって頭のひとつも引っぱたけば、つい一瞬前みたいな空気に戻れるのか。
 受け入れたらどうなる? その後どんな顔をしてこいつと付き合っていけばいいのかが分からない。今までどおりの同級生として、親友の関係でいられるんだろうか。
 引いても押しても、確実に何かが変わってしまう。どこかが壊れてしまうような予感がして動けなかった。
 タオルを目に当てたままの光一の腕も動かない。俺の反応を待っているのか。こいつも迷っているのかもしれないと、思った。それなら戻れる。今ならなかったことにして、いつものふざけの延長で終わることができると思った矢先。
「……初めてだけど、やさしくするね……?」
 甘えるような声が耳元で聞こえ、思わずぶはっと噴きだしてしまい、力が抜けた。
「おま……っ、なんだそれは」
 人が真剣に悩んでいるのになんだその間の抜けたセリフは、と突っ込んでいる隙に、光一の腕が動き、俺の頭の後ろに回された。
「あ、待っ……」
 目と一緒に耳も覆われ、周りの音が塞がれる。キュっと後ろで縛られて、油断した! と、結び目を解こうと後ろに回した俺の手首を今度は光一が掴んできた。引き剥がされた両の腕が広げられ、背中同様に壁に押しつけられる。
「おい」
 首の下に温かいものが這ってくる。唇と、舌だ。顎の線に沿ってそれが滑り、タオルに隠れた耳の辺りまでやってきた。軽く噛み、唇が押しつけられる。それがまた移動してきて、頬に触れてきた。そして、唇のすぐ横まできたそれは、一瞬止まり、また下へと下りていく。
 来るのかと思ったものがまた遠ざかり、なんだ、キスはしねえのかと、ぼんやりと考えた。
 壁に押しつけていた光一の腕の力が弱まり、試すように一旦そっと離れ、また弱い力で押しながら移動していく。それに合わせて俺の腕も下がっていき、しまいにはだらんと床に落ちていた。
 不意に、唇に何かが触れてきた。親指だ。覚えている。いつかのときと同じように、唇の上に乗せられた親指の腹が、押しつけるようにしながら引かれていく。
 さっきからそうだ。物欲しそうにしてくるから、キスがしたいのかと思うのに、光一はやってこない。何かポリシーでもあるんだろうか。つうか、順番が逆じゃねえかと思う。まずはここだろう。目隠しされて、人の首筋を舐めてくるくせに、なんでキスはしてこない。
 声を出さないという約束を守ろうとしているのか、光一は静かに俺の体を触っている。何も言わず、ただただ黙って俺の体を撫でてくる。
 別の人のことを考えろって言われても、それは無理だろうと思う。好きだと言ってきたのは光一で、やらせてと、やさしくするからとかほざいたのも光一で、だいたい今自分が誰の部屋で何をされているのかも分かっている状態だ。それに、普段からスキンシップが旺盛なこいつの掌や指の感触を俺は覚えてしまっていて、今唇を撫でている指だって、あ、光一の指だって分かってしまうのだから。
 っていうか、この場合、目隠しは却って逆効果だ。目を塞がれている分、余計に敏感になって、触れてくる光一の気配を察知してしまう。
 首筋に埋まっていた顔が離れ、光一が動く気配がした。唇をなぞっていた指先も離れ、それがシャツのボタンに掛るのが分かった。伺うようにトントン、と第一ボタンを小さく叩き、俺が動かないのを確認してからゆっくりとそれが外されていく。
 ひとつ外しては、宥めるように服の上から擦ってくる。大人しくしていると礼を言うように、光一の唇が俺の頬に当たる。やっぱりキスはしてこない。
 時間を掛けて全部のボタンを外されて、開かれていく。アンダーシャツを引っ張られ、すう、と空気が入ってきて、光一の掌がそこに潜り込んできた。
「あ……」
 サワサワと撫でられて、上がってくる腕を反射的に掴んでいた。セックスの経験があるにはあっても、俺だってそう数が多いわけでもない。こんなふうに触られるのは久し振りというか、一方的にされる側というのは初めてで、恥ずかしさと一緒に恐怖もあった。
 俺に再び手首を掴まれた光一はそこで止まっている。肌に触れていないほうの、もう片方の腕が肩に置かれ、お願いだというように撫でさすってくる。アンダーの下にある掌はそのままに、光一の体が近づいてきて、また、懇願するように唇が頬を撫でてきた。
「ちょ……っ」 
 やっぱり無理だ、と近づいてきた体を押し返すように腕を突っぱねる。心臓がバクバクで、口から飛び出そうだ。他の人を想像するどころの騒ぎじゃない。ていうか、何にも考えられない。
 おっかない。ただ、それだけだ。
 タオルに隠されている瞼を更にギュッと閉じ、首下にある光一の顔を押し出すように首を折る。掴んでいる手首は、強い力で握ったままだ。
 アンダーに入っていた光一の腕が、俺に掴まれたまま出ていった。それがそっと、顔を撫でてくる。人差し指の背で輪郭を辿り、掌で包まれる。唇にもう一度触れてきた親指が、僅かに震えているのに気が付いた。
 突っぱねたまま光一の胸に当てられている掌に、光一の鼓動が伝わってくる。そこは俺以上にドコドコと鳴っていて、心臓発作を起こすんじゃないかと思うほど、激しく動いていた。
 その音を感じながら、ああ、もしかしたら光一は、俺以上に恐いんじゃないかと、ふと思った。
 首下から追い出された光一の体が離れていく。俺に手首を掴まれて、光一も動けないでいるようだ。見えていないけど、途方に暮れたようにして俺の前にいるだろう光一の顔が想像できた。
 掴まれていないほうの掌が、俺の手の甲を撫でてきた。手首にある腕を、そっと、本当にそっと引き剥がしてきて、両手で包んできた。持ち上げられた俺の手は、たぶん光一のおでこに当てられている。祈るようなポーズなのかなと、その姿を想像した。
 





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