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うさちゃんと辰郎くん
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 土曜日にお弁当いらないよって言ったら、母さんが悲しんだ。
 友達と大学の図書館で試験勉強するからって、それでその友達と一緒に学食で食べるからって、ちゃんと説明したのに、「じゃあ友達のも分も作ってあげる」と言い出し、説得するのに大変だった。
 途中から姉ちゃんが関係ないのに参入してきて、「母さんの楽しみ奪うな!この親不孝者」って罵られ、結局、この次は絶対に作ってもらうからという約束をして、事なきを得た。
 弁当いらないって言っただけで、どうしてこんな大騒ぎになってしまうんだろう。
 小さいときみたいに、僕たちにあんまり関われなくなった母さんが、こういうときにすごく張り切る人だっていうのは分かっているけど、姉ちゃんのあれは、絶対ただ面白がって煽っているだけだと思う。
 二言目には「母さんはあんたのことが可愛くて仕方がないんだから、構ってあげな」ってさも自分が親孝行のような口をきくけど、僕からしてみれば、姉ちゃんが全然親の言うことをきかないから、僕がとばっちりを受けてしまっているんだと思う。
 幼稚園の頃、僕が毎日ヤクルトの容器に、園庭や庭で集めたダンゴムシを一杯に詰めて、母さんにプレゼントしていて、本当は虫嫌いの母さんは、「でも子どもの情操教育のためにはここで叱っちゃいけない」って僕のそのプレゼントを毎日「ありがとう」って受け取ってくれて、僕は僕で母さんが喜ぶからと、  
 毎日せっせとダンゴムシを集めてプレゼントしていたことを、未だに姉ちゃんは言ってくる。涙目だったわよって。
 そのせいで母さんがヤクルト恐怖症になったっていつも言う。
 知ってたんならそんなトラウマになる前に、言ってくれればよかったのに、姉ちゃんはきっと面白がっていた。だって、ダンゴムシのいっぱいいるところを僕にいつも教えてくれたのは姉ちゃんだったから。

 朝から「いらないの? 本当にお弁当はいらないのね?」と何度も聞かれ、そんな母さんを振り切るようにして学校へ出かけた僕は、なんだかとんでもない親不孝をしたような気になってしまった。
 でも、教室に入った途端、朝からの鬱陶しかった気分を全部忘れてしまった。
 僕を見つけた辰郎君が、まっすぐに僕の机の所に来て「今日な」って言って、二人にしか分からない約束の確認をしにきてくれたからだ。
 僕の携帯には、月曜日に三田さんにもらったウサギのストラップが付いていて、辰郎君の携帯には僕があげたやっぱりウサギのストラップが付いている。
 バレンタインの日、一緒に帰って、辰郎君が「アイス奢って」って言ってきて、僕はチョコアイスを買ってあげた。
 二人でそれを食べながら「うさちゃんにチョコもらった」って辰郎君が言った。
 すごく嬉しそうに言ったんだ。
 そのときのことを思い出すと、いつでもどこでもニヤけてしまう僕だった。
 だから今日の約束は、例え母さんが泣き叫ぼうとも、姉ちゃんの妨害に遭おうとも、僕にとっては絶対のものだった。
「なに? 今日って。二人して遊びに行くの?」
 隣の席のマルガリータが聞いてきた。
「カラオケ? 俺も行っていい?」
「行かないよ」
 なんで試験前の土曜日にカラオケになるんだよ。その思考回路が全然意味不明なんだけど。
「じゃあどこに遊びに行くの? ゲーセン? ねえどこ行くの? ねえねえどこに遊びに行くの?」
 ……マルガリータ。遊ぶ以外の発想はないのか。
「あ、もしかして、ふたりでエロビ鑑賞会とか? やだもう〜〜俺も混ぜて!」
「そっ……」
 なんてことを言い出すんだこの男は。
「ぼっ……」
 僕がっ! そんな! 辰郎君とそんな!
「え、え」
 エロビとかっ! 観るわけがないじゃないか!
「俺さー。すげーの持ってんだ。アニキが友達から借りたって。すげーの!」
「マジで?」
 ……辰郎君が食いついてしまった。
「無修正よん。ど? 家くる? エロビ鑑賞会やろうぜ」
 ……ああ、マルガリータ。なんてことをしてくれたんだ。
 僕がどんなに今日という日を楽しみにしていたか、君には分からないだろうけど、母さんを振り切ってここまでやってきた僕の苦労なんか、全然知らないんだろうけど。
「たぶんさ、来週には返すだろうから今しか見れないぜ。今週末限定だぜ?」
「……あー」
 辰郎君が迷っている。
 エロビ……。魅力的な言葉だ。僕はエロビに負けてしまうのか。
「やめとく」
「辰郎くん!」
「マジで?」
「んー。だって、な」
 辰郎君が僕の方を見て、わはん、と笑った。
「約束だしな」
「うんっ」
 辰郎君がエロビよりも僕との約束の方を選んでくれた。
「えー。だって、すごいんだぜ。マジで。これ以上のものはないっていうぐらいだったぜ?」
 マルガリータ、これ以上の誇大広告はしないでほしい。
「来週は見られないんだよ。これなくしてはもう青春語れないよ? 俺らからエロビ取ったらなんにも残んないじゃん」
 君には残らないかも知れないけど、僕らにはきっともっと大切なものが残ると思うよ。そんなものでしか語れない青春っていうのも、物凄く虚しいし。
「とにかく、お前はそれで青春を満喫してろ。俺は委員長と二人でお前の分まで勉強しとくから」
「あ、なになに。まさか試験勉強するつもり? やだちょっとそれずるくない?」
 うっかり口を滑らせたっていうふうに、辰郎君は「やべ」という顔をした。


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