INDEX
うさちゃんと辰郎くん
19

 ベッドに入ったまま、腹を立てたり、哀しくなったり、うとうとしながら嫌な夢を見たりしていた。
 熱は下がったけれど、やっぱり身体は弱っているようで、僕は一日中眠っていたみたいだ。
 母さんが部屋に入って来たときも僕は寝ていて、声を掛けられて初めて寝ていたことに気が付いた。
 ぼー、としたままもう夕飯の時間になったのかな、この調子じゃ明日も学校は休みかなって思いながら起きたら、母さんが「お友達が来たわよ」って言った。
「……友達?」
「すごくおっきい子」
 そう言いながら部屋の中をパタパタと片付けだして、僕は慌ててしまった。
 だって僕インフルエンザなんだよ。
 こんなウイルスいっぱいの部屋に入れたら一発で移っちゃうよ。
 そう思って慌てている僕にお構いなしで母さんは忙しそうに部屋から出て行って、「どうぞ」なんて階下にいる見舞客を迎えに行ってしまった。
「お邪魔しまーす」と言って入ってきたのは、やはり辰郎君だった。
 ぬっと入ってきた辰郎君に思わず「入らないで!」と叫んだら、辰郎君が固まった。
「うつるから。インフルエンザうつるから!」
 効果はないと分かっていても、毛布を引っ張って口元を隠して言う僕に、辰郎君が笑った。
「大丈夫だろ。もう熱下がったって言ってたよ」
「けど……」
「大丈夫だって。俺、インフルエンザ罹ったことないもん」
 そういう過信があとで大病に繋がるんだと尚も「駄目、駄目」と、毛布の下から叫ぶ僕にお構いなしに辰郎君は部屋に入ってきてしまった。
「じゃ、じゃ、せめてマスクして」
「えー、やだよ」
 笑顔で僕のお願いを拒否しながら、僕のベッドの下にどっかりと座り込んだ辰郎君は、楽しそうに部屋を見回した。
「へえ。ここがうさちゃんの部屋かあ。本がいっぱいある」
 本棚や勉強机を眺めて辰郎君が笑っている。
 いつもと変わらない、上機嫌な様子に僕はホッとして、それからちょっと困った。
 せっかく初めて辰郎君が僕の部屋に訪れてきてくれたのに、僕ってばよれよれのトレーナーに下はジャージで、お風呂にも入ってなくて髪もくしゃくしゃだった。
 毛布で顔を隠しながら、寝ていたから目ヤニは付いてないか、涎のあとはなかったかと、確認している僕だった。
「なんか飼ってないの? ミジンコはここにはいないの?」
「うん。僕が部屋で生き物を飼うと危険だからって……」
 後輩の三田さんじゃないけど、僕も生き物に関してはかなりの前科がある。
 虫かごの蓋を信じられない力で持ち上げて逃げたカブトムシは姉ちゃんの服に止まっていたし、やはり逃げ出してダイニングテーブルの上で天下を取っていたカマキリは、ご飯の支度をしようとしていた母さんにカマを振り上げ威嚇して、悲鳴を上げさせていた。
 なら金魚ならいいかと許されたが、僕が面倒をみると、どういうわけかもの凄く育っちゃって鯉のように巨大になり、人が通る度に口をパクパクさせてアピールするのが恐いという泣きが入った。今その金魚は近所の幼稚園の池で元気に泳いでいる。
 最近は昆虫よりも微生物に興味のある僕だが、「微生物」と聞いただけでなにがしか恐ろしいものを想像した母さんは笑いながら鳥肌を立て、姉ちゃんは僕が何も言っていないのに「駄目だからねっ!」と牽制してきた。
「ほら、うつんないから」
 いつまでも顔を隠している僕に辰郎君が言って、僕の毛布を引っ張っている。
「うつったらごめん」
 そう言ってやっと顔を出した僕に辰郎君はまた、わはあ、って笑って「大丈夫だって」と言った。
 先週の気まずい雰囲気は全然なくなっている。
 もしかして僕の気の回し過ぎだったのかもと思ってしまうくらい、今日の辰郎君はいつものままだった。
「わざわざ来てくれてありがとう」
 そうなると、僕の方もさっきまで辰郎君の心の狭さを罵ったりしていたことをすっかり忘れ、こうして来てくれたことに感激して、お礼を言った。
「吃驚した?」
「うん。吃驚した」
「嬉しい?」
「うん。すごく嬉しいよ」
 僕がそう言うと、辰郎君はまた大きな笑顔で僕を見返してから、ちょっと照れたようにして下を向いた。
「うさちゃんて、そういうところがすげえよな」
「なにが?」
「ほら、そうやって『嬉しい』とか『ありがとう』って、普通に言うじゃん」
「そう? でも本当に嬉しいから」
 嬉しくて感謝しているのだから言葉にするのは当たり前だと思うけど、言われた辰郎君はやっぱり照れたように笑いながら下を向いてそう言う。
「初詣のときもそうやって、嬉しい嬉しいって言ってたし」
「うん」
 思い出すと今でも頭を抱えてしゃがみ込みたくなるあの日の出来事だったけど。
 だって本当に嬉しかったのだ。
 恥ずかしいくらいはしゃいじゃったのも、嬉しくて嬉しくて仕方がなくて、そんな思いをさせてくれた辰郎君にお礼を言ったことを覚えている。
「そうやって『嬉しい』とか『ありがとう』って言われると、来てよかったなって思う」
 辰郎君は僕の方を見ないままそう言って、そばに置いてあった自分の鞄を引き寄せた。


novellist