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うさちゃんと辰郎くん
32

「はあぁ。腹いっぱいだ」
 豪華弁当をほとんど平らげた辰郎君が、ゴロンと横になった。
「もう動けねえ」
 膝をくの字に曲げ、腕の上に頭を乗せ、大きな身体を丸めるようにしてシートに横たわっている。
 空になったお重を仕舞いながら、僕はリュックの底に入れておいたものを取りだした。
「あのね」
「うん?」
 気持ちよさげに目をトロンとさせている辰郎君に小さな包みを見せる。
「ホワイトデーのお返しというか」
「なになに?」
 寝転がっていた辰郎君が起き上がって目を輝かせて聞いてくる。
「バレンタインデーのときも、ほら、なんとなくちゃんとあげれてなかったっていうか」
 姉ちゃんを手伝ったお駄賃代わりのチョコは、結局渡せなかった。時間も経っているし、ついでにもらったようなものをあげたくなかったし。
 今日の約束の日まで、なにがいいかなってあちこち廻った。誰かに相談したくても出来なかったし、姉ちゃんなんかに相談したら酷い目に遭いそうだったし。
「たいしたもんじゃないけど」
 包みを握り絞めたまま下を向いて、心の中でずっと言い訳をしている。
 嬉しかったし、お返しをするのは当然だし、てか僕がお返しをしたかったし。
 姉ちゃんには相談しなかったんだけど実は母さんにはさり気なく相談して、でもさりげなさ過ぎて「お礼」とか「感謝の気持ち」なんて僕が言っちゃったもんだから、母さんなにか勘違いしたみたいで「それならハムの詰め合わせがいいんじゃない?」なんて言い出して、デパート行って買ってきてあげるって張り切られて、それを説得するのに苦労して、やっぱり自分で選びたかったし、でも、今の辰郎君の食べっぷり見てたら、やっぱりハムの方が喜んだかもなんてちょっと後悔してて。
「くれんの?」
下を向きっぱなしの僕の顔を、辰郎君が覗いてきた。大きく見開かれた眼が笑っている。
「でも本当、全然たいしたものじゃないっていうか」
 白い歯が零れ、大きな手が差し出されている。
「あ、でも、本当に全然凄いものじゃないから。期待しないで……」
 ああ、もう。どうしてこうさらっと渡せないんだろう。
 リュックを開けたときに、「あ、これ」って何気なく渡せばよかったのに。
 こんなに前置きしたら、かえって凄いものみたいになっちゃうじゃないか。
 駅で会ったときにすぐにあげればよかった。
 こんな、「さあ、贈呈します」みたいな雰囲気じゃなくて、もっとこう、普通に渡せばよかったのに。
 いろいろ考えすぎて、握りしめている包みがひしゃげてきた。なにやってんだろう、僕は。
「うさちゃん、ちょうだい?」
 手を差しだしたまま、辰郎君が下から僕を覗いている。
 促されて、その大きな手にやっと包みを乗せた。
「開けてい?」
「うん」
 くしゃくしゃになってしまった紙包みを、大きな手が丁寧に開けていく。カサコソと小さな音を立てて、しわくちゃの包みが開かれた。
「お」
 嬉しそうな声を上げて、辰郎君が僕のプレゼントを掌に乗せた。
 なにがいいかなって散々考えて、バスケットをやっている辰郎君に選んだのは、タオル地のリストバンドだった。
 白地に細い青の線が入っている。僕らの学校の体操着のカラーだ。小さなバスケットボールの刺繍が付いていて、その他にはなにもない、シンプルな色合いのリストバンド。
「なにがいいのかよく分からなくて」
 尚も言い訳を続ける僕に、辰郎君は「ありがとう」って言ってくれた。
「嬉しいよ」
「本当?」
「うん。毎日使うものだし。こういうのマジ嬉しい」
 僕のあげたリストバンドを手首に着けて、クルクルと回しながら、もう一度「ありがとう」と言ってくれた。
「うさちゃんからのプレゼントだ」
 笑いながら今度は手をかざして眺めている。
「使うのもったいないな」
「使って」
「うん。でも試合のときの、とって置きにしようかな。お守り代わりに」
 手をかざしたまま、笑顔をこちらに向けて、辰郎君がそんなことを言う。
「普段使いでいいよ」
「でももったいない」
「ヘタレたら、またプレゼントするから」
「ほんと?」
 にゃはん、と笑った辰郎君が嬉しそうに僕のあげたリストバンドを撫でている。
「すげえ嬉しい。ありがとう、うさちゃん」
 もう一度お礼を言って、リストバンドを着けた腕が、僕の手を取ってきた。
「……辰郎君」
 そっと引かれて、その力に素直に付いていく。
 笑みを作ったままの辰郎君の唇を見つめながら、め、目を閉じた方がいいんだろうかと狼狽える。
 引っ張られ、顔が近づいて、やっぱり目を閉じようと決心し、ギュッと目を閉じ……
……たら、辰郎君の動きが止まった。
 どうしたのかなって、そっと目を開けたら、辰郎君の視線が横に流れていた。
 辰郎君の視線につられるようにして僕も目を移す。
 子どもが一人、至近距離でしゃがみ込み、こちらを眺めていた。



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