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うさちゃんと辰郎くん
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「あったかいな」
 ゆったりと座った辰郎くんが桜を眺めて眼を細めた。
 うん、と返事をして、僕も一緒に桜を見上げた。
 ひらひらと落ちる花びらが、さっき博物館で見たマリンスノーを思い出させた。
 今この時間も、暗い海の底に向って雪は降り続け、堆積していく。それを餌に、深海の生物が生き、またそれを誰かが食べ、卵を産み、育っていく。
 永劫に続く生命の連鎖を思ったら、僕一人の存在なんか、本当にちっぽけなもんだな、って思った。
 辰郎くんが笑ったまま僕の方に手を伸ばしてきた。
 キスされるのかな、って思ったら、頭についた花びらを取ってくれた。大きな掌に乗せたそれを僕に見せてくれる。
 辺りは桜の香りでいっぱいだ。
 毎年来ているはずなんだけど、桜の花の甘い匂いを意識したのは初めてだった。
「この場所、いいな。うさちゃんの見つけた穴場」
「うん」
「来年も来れたらいいな」
 来年も再来年もきっと僕はここに来るだろう。そのとき辰郎くんも一緒にいたらいいな、と幸せな未来の夢想をした。
「桜っていい匂いがするんだね」
 僕の言葉に辰郎君は鼻をひくつかせ、「本当だ。桜餅の匂いじゃないんだな」と言った。
 緩やかな風に乗って、ほんのりと微かな香りが僕らの周りを漂っている。
 今までだって僕が気付かなかっただけで、きっと去年もこんな甘い香りを放って桜は咲いていたのだろう。
 そして来年、僕たちが来ても来なくても、また桜は咲くのだ。
 ひらひらと舞う花びらを追いながら、辰郎くんに止まったら、今度は僕がとってあげるのに、と待ってみる。
 桜は毎年咲き、マリンスノーは今も降り積もり、そして僕は辰郎くんが好きだ。
 唐突にそう思い、また胸が痛くなった。
「あのね」
「うん?」
「僕さ、すごく辰郎くんのことが好きなんだよ」
 突然の僕の告白に、辰郎くんは一瞬キョトンとして、それから居住まいを正し、まっすぐに僕の方を見た。
「たぶん知ってると思うけど」
「……あー、うん」
「だよね」
 そりゃそうだ、と、可笑しくなり僕が笑うと、辰郎くんもふわ、と笑った。
「でも、なんか急に言いたくなった。今日もすごく楽しくて、こうやって一緒にいられて、嬉しくて。そしたらなんか、言いたくなっちゃいました」
 言いだしておいて、途中から恥ずかしくなり、最後には丁寧語で締めくくってしまった僕の言葉を、辰郎くんは静かに、まっすぐに聞いてくれた。
「あのさ」
「はい」
「俺もうさちゃん好きだよ」
「……はい」
「分かってたと思うけど」
「はい……うん。なんとなく」
「なんとなくかよー。俺、随分積極的に頑張ってたつもりなんだけど」
 辰郎君が桜を仰ぎながら嘆いた。だけどその顔には、嘆いているのに笑顔が乗っていた。
「両思いおめでとう、だな」
「うん。ありがとう」
 お礼を言う僕に、辰郎くんはまたわは、って笑って、その上に花びらが落ちてきた。


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