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うさちゃんと辰郎くん
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「はい。筆記用具を置いてください」
 係の人の声に従いシャーペンを置き、紙を裏返す。
 すぐに席を立つ者、椅子に凭れて放心している者、それぞれが今日の精一杯を終えた。
 僕も溜息をひとつ吐き、ペンケースに筆記用具をしまう。
 不安な点はいくつかあったけれど、それでも最後まで集中して取り組めた。あとは結果を待つのみだ。
 この一週間、自分でもかなり頑張ったんじゃないかなと思う。
 学校帰り、塾へ向う少しの時間も、休み時間の僅かな時間も、ここまでと決めたところまで、問題を解いたり、暗記を繰り返したりしていた。
 短期集中型の辰郎君のアドバイスももらった。
「欲をかかない」ということだそうだ。ここまでなら頑張れると自分で計画を立てたら、絶対にそこまではやる。それ以上はやらない。そこから先はダラダラしてしまうから。
 自分を甘やかさない程度の質量を絶対にこなす。毎日少しずつ。できるようでなかなか難しいことだ。
 それに辰郎君は「ヤマ」を当てるのが上手だ。
 偶然や当てずっぽうではなく、限られた時間のなかでどこが要点なのかを自然に取捨選択できるみたいだ。バスケ部の主将をやりながら、その合間を縫って試験勉強をこなしていた辰郎君には、それはとても重要なスキルだったのだろう。
 真似しようとしてもすぐにはできることではないし、僕には僕のやり方もあるから、助言をもらってできることは真似をして、僕は僕の長所を活かし、気負わずにじっくりやっていこうと覚悟を決めたのがよかったのかもしれない。
 今になって思えば、落ち込んでしまったのが受験直前じゃなかったっていうことが却ってよかったと思える。それがあったから、改めて自分の弱点と効率の悪さを見直すことが出来た。
 こういう考え方ができるのも、辰郎君の前向きな性格のお陰だと思う。
 学校以外で会えなくなって寂しいこともあったけど、それでも毎日顔は見られるわけだし、それに、学校にいるときは前にも増して、辰郎君が側に寄ってくることが多くなった。
 休み時間や移動のちょっとしたときでも、すぐに僕の隣に来てくれる。
 ……まあ、マルガリータも一緒だったけど。
 問題集を広げている僕の隣で、大人しく自分も教科書を読んでいる。チャイムが鳴って、自分の席に戻るほんの瞬間、にこっと笑って「またあとで」って言ってくれる。
 僕の邪魔をしないように、気を遣ってくれているのが分かる。
 ここにきて、僕は今まで辰郎君のことを、ちょっと見くびっていたのかもしれないなと、反省している。
 楽しいことが大好きな辰郎君に合わせて、それを削ぐような言動をしたら、彼が面白くないのではないかと僕は怯えていた。
 それで嫌われてしまうのは嫌だと思っていた。
 だけど、辰郎君は僕が思っていたよりもずっと大人で、すごく気遣いがあって、僕の小さな心配なんか笑い飛ばすくらい、大らかな人だった。
 受験シーズンのピリピリした空気の中でさえ、彼は楽しんでいる。
 どんなときにも楽しみを見つけ、自分の前に人参をぶら下げて、笑っているのだ。
 そうだ。人参。
 帰り支度をしながら、先週約束していたことを思い出す。
 頑張ったご褒美。
 それは僕にも……褒美になるわけで。
 僕自身、僕に褒美をあげるつもりで頑張ってきたっていうのもあったわけで。


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