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うさちゃんと辰郎くん
7

「で、なに熱心に見てたの? 魚とか?」
 僕が見ていた川べりの溜りを覗き込みながら、辰郎君が聞いてきた。
「うん。小さい魚もいるけど」
 静かな川面を指さして、辰郎君を促す。
 水の表面が、光の屈折とは違った揺らめきを見せる。じっと目を凝らさないと見えない微かなゆらめき。
「ほら。動いてる」
「どこどこ? なに? アメンボ?」
 子どものように好奇心丸出しで無邪気な声に思わず微笑む。
「クリオネとか?」
「クリオネはさすがにいないよ」
 本当に面白いこと言うなあ辰郎君は、と、僕は声を出して笑った。
「プランクトン。魚たちの餌になるんだよ。ここの淀みにいっぱいいる。ミジンコとか」
 僕がそう言うと
「ミジンコぉ?」
 と、素っ頓狂な声を上げて辰郎君が僕を見た。
「ミジンコってあれ? こういうやつ?」
 そう言って小さく前ならえにした腕をシャカシャカ動かして、辰郎君がミジンコの真似をした。
「……うわ。うわぁ……」
「なに?」
 見とれる僕の前で、素敵ミジンコがシャカシャカしている。
「か……かわいい……」
 思わず漏れた僕の感嘆の声に、素敵ミジンコが満面の笑みで笑っている。
「えー? かわいい、って、そう?」
「うん、……うん、可愛いよ。こんな可愛いミジンコ、見たことないよ、辰郎君」
 勢い込んで話す僕に、素敵ミジンコは照れたように、わはぁ、って笑った。
「捕まえて、家に持って帰りたいよ」
 そんな可愛いミジンコがいたら、すぐさま捕獲して家に持って帰って水槽に入れて一日中眺めていたいよ辰郎君。
 うっとりと、僕の水槽で気持ちよさげに泳いでいる辰郎君を思い浮かべ、「本当、こんな可愛いミジンコがいたら、僕部屋から出られないよ」と、言ったら、辰郎君は動きを止め、一旦僕の目を覗いてから、ふい、と横を向いた。
「あ、ごめん」
「いや」
 横を向いた辰郎君の耳が赤くなっていた。
 シャカシャカしたから暑くなったんだろうか。
「そうだよね。嫌だよね。水槽の中なんか」
「あー、そうじゃなくてさ」
「ごめん。そうだよね。辰郎君は広い海とかで自由に泳ぎたいよね」
 僕の浅はかな願望のせいで、辰郎君の自由を奪ってはいけないんだ。
 凄く可愛いけど。
 本当に持って帰りたいけど。
 落胆する僕の顔をもう一度覗き、辰郎君はぷっ、と吹き出した。
「お前ってさ……」
 なに? と可笑しそうに笑っている辰郎君の次の言葉を待ったけど、辰郎君はそのまま笑い出してしまい、続きは聞けなかった。
「で、持って帰んの? ミジンコ」
 しばらくして、ようやく笑いを収めた辰郎君は、川を指さして聞いてきた。
「ううん。いるかな、って眺めてただけ。部室にいっぱい飼ってるから。それに装備もないし」
 装備と言ってもバケツひとつあれば事は足りるが、マラソン大会にバケツを持って走るわけにもいかない。
 水分補給のためのペットボトルを一つ持っているけど、暑くもないから中身はほとんど減っていなかった。
 そう思ってペットボトルを辰郎君に掲げてみせると「あ、ちょっと貰っていい?」と、僕のボトルを受け取って、ごくごく飲み出した。
「あ」
 喉を上下させて美味しそうに僕の渡したボトルから水を飲んでいる姿に釘付けになる。
 辰郎君が僕の水を飲んでいる。
 さっき僕が口をつけたペットボトルで。
 これって、いわゆる、間接キ……。
 思い浮かんだ言葉に狼狽してあわあわしている僕に、辰郎君はボトルを返してきた。
「ごめん。いっぱい飲んじゃった」
「い、いいよ。全部飲んじゃっても」
 声が上ずりそうになるのを我慢しながら言うと、辰郎君は「いいよ。ありがと」と、にっこり笑った。
 そして「やべ、俺記録係頼まれてたんだ」と、流石に生徒の姿がなくなった土手を見上げて言った。
「委員長、まだいるの?」
 これは、一緒に帰ろうと言ってくれているのかなと思ったけど、胸がいっぱいの僕は、もう少し余韻を楽しみ、かつ、このペットボトルに早く……たかったので、先に行ってと促した。
「じゃあ、お先に。あ、今度さ、見せてよ」
 何を? と声に出さないまま首を傾げたら、辰郎君は笑いながら、また腕を脇に付けて、シャカシャカと振り、素敵ミジンコを僕の為に見せてくれた。


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