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月を見上げている |
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「……なんでついて来るんだよ」 「いや、ご挨拶をしようと思って」 何度振り払っても、ニヤニヤしながら巨体がついて来る。 「だから! なんで挨拶するんだよ!」 「そりゃお前、一緒に仕事をしている上司としてはだな、挨拶するのは当然だろ」 嘘つけ。ただ双子の顔が見たいだけだろうが。 飄々と言ってのける折田を睨みあげて、樹はこれ以上ないというぐらい険悪な顔をしてみせたが、相手はひるむ様子もない。挨拶だけだから、したらすぐに帰るからといい続けて、銀座のホテルまでついて来られてしまった。 憮然としたままホテルのロビーを見回す。何かのパーティーでもあるのか、ロビーには正装した人たちがあちこちで談笑していて、なかなか姉の姿を見つけられない。 ふと、ロビー奥の大きな花が飾られたテーブルの傍に立つ人に目が留まる。向こうもこちらに気がついて、ゆっくりと近づいてきた。 一瞬息が止まる。 なんでここに? 混乱したまま、その人から目を離すことが出来ない。 ああ、そうか。 考えてみれば不思議がることじゃない。 笑みを湛えたまま、その人はゆっくりと近づいて、やがて樹の前で足を止めた。 「こうちゃん……」 思わず名前を呼んでしまう。 「久しぶりだね」 懐かしい声を聞いた。 何年ぶりかで聞く声は、それでも一度聞いてしまうと、すぐに年月を飛び越えて、樹をあの頃へ引き戻していくようだった。 さくらは? と聞くと、電話をかけにいったと答える。 優しい声。 樹を見るその目は、懐かしさと同時に、困ったねというふうに眇められる。変わらない表情だった。彼はいつも、樹を見る時にこんな表情をしていた。 「やっと捕まったわね」 後ろから声が飛んできた。 「何回メールしても返事もよこさないんだから。まったく、いい加減にしなさいよ」 相変わらずのきつい声がぽんぽん樹に浴びせられる。 「忙しかったんだよ。こっちこそ、急に会社に来られて、びっくりした」 力なく言い訳するのを、ぴしゃっと遮られる。 「あんたが連絡よこさないからでしょ。今日連絡つかなかったら、明日また行って、今度はあんたの営業先まで押しかけるつもりだったんだからね!」 恐ろしいことを言われた。 「全然家にも帰ってこないし。正月は絶対帰ってきなさいよ。みんな待ってるんだから」 絶対よ! という剣幕に、いつもの事ながら敵わなくて、不貞腐れて口をつぐんだ樹を、珍しい光景を見たと、面白そうに折田が笑っている。 一方的に言いたいことだけ言った姉が、初めて折田の存在に気がついた。 「あの、こちらは?」 「会社の上司。俺の姉貴が双子だって聞いて、面白がってついてきた」 不貞腐れたまま答える樹の頭をスパン! と叩かれた。 「あんた、そんな失礼な言い方!」 やられっぱなしの樹の様子に、今度は折田が、ぶっ、と噴き出した。 「ああ、失礼しました。久島君とは同じ会社で働いております、折田と申します。いや、本当に、双子のお姉さんだと聞いて、好奇心が抑えられずについてきてしまいました」 いつもの大きな笑顔で屈託なく挨拶をする声に、その場が一気に和んでいく。 「いや、本当にそっくりで驚きました」 「喜んで頂けてなによりです。改めて、樹の姉の、さくらと申します。弟がお世話になっております」 さくらがさっきとは打って変わったよそ行きの挨拶をした。丁寧にお辞儀を交わした後、隣に立つ人を見やって紹介をする。 「こちらは、私の婚約者で……」 「佐伯浩一です。さくらさんとは、来春結婚をする予定になっています」 浩一がさくらのあとを引き継いで自己紹介をする。大学が東京で、今回さくらと一緒に学生時代の友人に会いに上京したと説明をした。 「ああ、それはおめでとうございます。じゃあ、佐伯さんは、久島君のお兄さんになるわけだ」 折田が如際なくお祝いを述べた。 「お兄さんって言っても、ねえ」 恋人同士はお互いに見あい、くすくすと笑顔を交し合う。 「幼馴染みなんです。生まれた時からのお隣りさん」 だから今さら兄弟になるといってもね、とさくらが笑う。 双子でそっくりだと言われていても、樹にはとうてい真似の出来ない、花のような笑顔を作る。 隣では浩一が、困ったような、照れくさそうな笑みを浮べていた。 小さい頃は二人でお兄さんを取り合ったんですよ。樹は浩ちゃん浩ちゃんって、とにかく大好きで。だから結婚が決まった後も何もリアクションがないんだから、拗ねちゃったのかと思ったのよ。 ね、と隣の恋人に話しかける。幸せそうに寄り添っている。 ああ、お似合いだなと樹はぼんやりと考えていた。 同じ顔なのに、同じに生まれたのに。違うのは性別だけなのに。だけどその違いは決定的で、彼の隣に立つことは、樹には許されない。 さくら さくら 名前の通り、人に愛されることを生まれた時から知っている、樹のもう一人の分身。 そうやって花のように笑いながら、樹の大切なものを奪っていく ……そうじゃない。 分かっている。何も奪われてなどいないのだ。だって、初めから自分は何も持ってはいなかったのだから。 空調の風が吹いているのか、ロビーの奥に飾られた花が揺れていた。 あれ、なんの花なのかな。 小さな白い花びらが、ひらひら、ひらひらと揺れている。 ぼんやりと揺れる花達を眺めていた。 風が吹いてまた花びらが髪に飛んでこないかな そうしてまた、ほら、と言って樹の髪に触れてくれないだろうか。 そうしたら、またあの時のように優しく撫でてくれるだろうか。 あの大きな手で。 さくらが話す間、ずっとそんなことを考えて、揺れる花を見つめていたが、花びらは風に揺れるだけで、樹のもとへは飛んできてはくれなかった。 |
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