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月を見上げている
16
 長い時間、シャワーを浴びていた。
「もう、呆れて帰っちゃった……よな」
 帰ってくれていたらいい。
 そうすれば明日会った時、冗談でしたと笑って言うことができる。昨日はどうかしていましたと。
 そう思う裏側で、いて欲しい、と願っている自分もいる。
 いてくれたら……自分を受け入れてくれたと思ってもいいのだろうか。
 樹が誘わなければ、折田は絶対に樹を抱くことなどないだろう。今日だってただ単に傷ついているだろう樹を慰めようと来てくれただけだ。
 わかっている。
 ……だけど、いてくれたら……
 両方の気持ちを抱えたままゆっくりと浴室を出た。
 丁寧に体を拭きながら部屋の様子をうかがう。
 もし迷っているのなら、今のうちに帰ってくれ。今ならまだ引き返せる。顔を見たら、もう自分を抑えることができなくなるから。だから……。
 部屋に戻ると、折田はさっきと同じ場所にまだ座っていた。
「……いたんだ」
「そりゃ……黙って帰れねえだろ」
 そうか。そうだよな。そういう人だ、この人は。
 怒ったように言い返す顔は、道に迷った子供のように不安げで、樹は思わず笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ。お前、よくこういう状況で笑えんな」
「だって……折田さん、緊張してるから」
「してねーよ! つか、しちゃ悪いか」
「やっぱ、してるんじゃん」
 折田の手を取って、自分の胸に当ててやる。
「俺も……緊張してるよ」
 Tシャツ越しに、折田の手の熱さが伝わってくる。折田は樹のされるままに、樹の鼓動をその大きな手で確かめるようにして、じっとしている。
 もう、止まらない。
 目が合う。掴んでいない方の腕を、折田の首の後ろにそっと廻す。耳元へ顔を寄せると、折田の汗の匂いがした。それとほんの少しの酒の匂いと。
 首筋に沿って唇を這わすと、擽ったそうに肩を竦められた。ごくり、と折田の喉が鳴る。上下するその突起に軽く吸い付いてみる。
 はあ、と小さくため息が聞こえた。その微かな反応に、自分が高揚していくのがわかる。
 大きな体が樹の体重に押されて少しずつ沈んでいく。引きちぎりたい衝動を抑えて、一つずつワイシャツのボタンをはずしていった。
「えっと……俺も、シャワー……」
 浴びたい、と言いかけるのを聞かずに、手を取ってベッドに連れて行く。
「そんなのいいから」
 間を置いて正気に戻られるのが怖かった。
 軽く肩を押して素直にベッドに仰向けに横たわる上に跨った。
 見下ろす姿勢のまま、唇を舐めてみせる。みせつけるようにゆっくりと、乾いてしまった自分の唇を舐め、舌で濡らした親指でなぞる。チロチロと、紅い舌をひらめかせ、見下ろしたまま自分の指を舐ってみせた。
 かつての恋人は樹のこの表情に欲情した。
 目の前の男が同じ反応をするかは分からなかったが、果たして、折田は樹の濡れた唇を凝視したまま腕を伸ばしてきた。ゴクリ、と、喉が上下するのが見えた。
 樹の頭の後ろに廻された手が、軽く髪を掴んでそのまま引き寄せられていく。
 近づいてくる唇に、キスの予感を感じて胸が高鳴ったが、樹はそれを拒絶した。
 左手を突っ張り、空いたほうの手で折田の顔に触れる。自分にしたように、親指で愛しい人の唇をなぞる。
「ここは……大事な人の為にとっておいて」
 そのまま掌を顎から首へと這わしていく。
「俺にはここから下だけ貸してくれたらいいから……」
 何か言おうとする折田を制して、その首筋にキスを落とした。後ろに廻された折田の腕をはずして、指を絡める。
 大好きな、大きな手。
 いつも樹を優しく擦ってくれる、暖かい愛しい人の手。
 今だけでいいから……
 俺だけのものになって
 俺に夢中になって
 俺を感じて
 俺を欲しがって
 祈りにも似た気持ちで、樹は愛しい人の掌に口づけをした。

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