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月を見上げている |
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きっかけを失ったまま、いたずらに時間だけが過ぎていく なんとか二人で話をしたいと機会を窺っても、樹はその隙を作らない。会社内で出来る話でもないし、大輔にも仕事がある。大体社内で捕まえようとしても、漏れなく斉藤がついて来る。 いっそ樹のマンションまで押しかけようかとも思ったが、そこで決定的に拒絶されたらと思うと、怖くて行く事が出来なかった。 (怖い? 俺が?) 今までだって樹の態度は決して愛想のいいものではなかった筈だ。それでも大輔は構わずに近づいていっていた。邪険に振り払われても笑って聞き流せた。それが今は、怖くて出来ない。 あの時はどうかしていたと、ただの気の迷いだったと言われるのが、怖かった。 今までの恋愛で、こんな気持ちになったことはなかった。セックスのあとあんな態度に出られたこともなかった。 なんとかしなくてはと気ばかりが焦っても、じゃあどうしたらいいのかが皆目わからない。仕事では優秀な営業マンの大輔だったが、たった一人の、それも男の気持ちが分からずに立ち往生していた。 「折田さぁん。大丈夫ですかぁ? 戻って来てくださぁい」 遠くでエコーのように斉藤の呼んでいる声が聞こえる。 戻ってこいって、何処へ? と目を向けると、目の前に斉藤が座っていた。また意識を飛ばしてしまっていたらしい。ざわついた声が耳に戻ってくる。手にはビールジョッキが握られていた。そうだ、斉藤に連れられて、駅前の居酒屋へ来ていたんだ。 連日のように、斉藤にやれチョコのお礼をしてくれだの、仕事の打ち上げだのと言われて、こうして飲んでいる。ここ最近の大輔の不調を心配しての斉藤なりの配慮だった。悪い子ではないのだ。 「だからぁ、心配事があるなら聞きますよ? どーんと言っちゃって下さいよ。私がちゃっちゃっと解決してあげますから。任してくださぁい」 任せられるか。ビールのお代わりを頼む。 「なんか、やけ酒っぽいですね。あー、もしかしてぇ、失恋とかしちゃいましたぁ?」 痛いところを突かれて、がっくりと首を落とす。侮れない女だ。 「折田さん、忙し過ぎて彼女怒っちゃいました? ちゃんとフォローしないと駄目ですよぉ」 もっともらしく説教をされてしまった。 「そんなんじゃねえよ。大体それ以前なんだよ、問題は」 つい本音が漏れる。フォローするも何も、その隙もないんだよ。 「私はぁ、折田さんが悪いと思いまぁす」 何も事情を知らない斉藤が断言した。 「俺が? なんで?」 自分の悩みが恋愛事であると白状したのに気づかずに、大輔が聞き返した。 「だって、折田さんって、自分から行動を起こしたことないでしょう? もてるから」 「いや、そんなこともないと思うけど……」 「そうですよ、きっと。見ていればわかりますぅ。なんかぁ、いつも余裕っていうかぁ、来るもの拒まずだけど、努力もしないっていう感じ?」 ……そうなのか? 「仕事であれだけ気がつくのに、そういう気持ちに鈍感っていうかぁ、面倒臭そうですよね?」 図星とはいかないまでも、思い当たる節があった。 新しく運ばれてきたビールには口をつけず、大輔は考え込んだ。 自分でもてるという自覚はないが、確かに恋愛に関して真剣になった事がないように思える。仄かに想いを寄せる人がいても、向こうに自分へ対する好意以上のものがないと分かると、努力もせずに諦めた。他に自分に好意を寄せてくれる女性がいれば、そちらの方と付き合う方が楽だったからだ。 付き合い始めても、学生の時は友人やサークルなどの方を優先しがちだったし、就職してからは、仕事が最優先だった。それで別れてしまうことが大方だったし、その時は人並みに落ち込みもするが、しょうがないという気持ちがあった。所詮、それぐらいの執着しかなかったのだ。 「大輔って、結局私より大事なものが多すぎるのよ」「優しい振りして、本当はどうでもいいのよね」とよく言われた。 それでも廻りには自分に好意を示す女性がなんとなく現れたし、大輔だって鈍感といえど、馬鹿ではないから、その好意は感じることが出来た。そしてなんとなく付き合って、結果、同じ事になっていたのだ。 「俺って、恋愛したことないのかも。つうか、人として最低かも……」 「今頃わかりましたぁ? だから、絶対折田さんが悪いと思いまぁす」 きゃっきゃっと、やけに明るく弾劾された。 「なんだか斉藤さん嬉しそうだな」 「えーそんなことないですぅ」 うふっと、本当に嬉しそうに「ビールお代わりくださぁい」と店員に頼んでいる斉藤の横顔を見ながらぼんやりと考えた。 そう、斉藤の気持ちにも気がついていた。仕事を教えながら、あからさまな好意を示してくるこの女性を可愛いと思いながら、それに応える気持ちには、どうしてもならなかった。 見た目よりもずっと大人で、人の気持ちに敏感な斉藤は、大輔の心が自分には向かないことをいつしか悟って、自分の中で処理をしたのだろうことは想像できる。そうして今みたいに単純に部下として、大輔を励ましてくれているのだ。 (いい娘なんだけどな。何で俺は斉藤さんじゃ駄目だったんだろう) 今までの大輔だったら、割と気軽に応えていたかも知れない。機会はあったのだ。あれだけ四六時中一緒にいるのだから。 ――折田さんってぇ、今付き合っている人はいないんですかぁ? 少しの媚を含んだ甘い声に、「いないよ」とこちらも多少の意味を含めた答えを返していたら、今ある状況は変わっていたかもしれない。 それでもあの時、大輔は「付き合っている人はいないけど、ずっと気になっている人がいる」と言外に断ったのだ。仕事も忙しかったし、斉藤が好みのタイプでもないからと、自分で自分に言い訳をしながらの逃げ口上だったのが、実はそうではなかったのだと、今になって思い至る。 |
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