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月を見上げている |
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「それはぁ、折田さんがやっぱり悪いですぅ」 例によって、斉藤が説教をたれている。 今日はちょっと足を伸ばして新橋の方まで連れて来られた。たまには洒落たところに行きたいと言われて入った和食の店だったが、いつもの酔っちゃんとどう違うのかがわからない。 「悪いったって、どうしようもねえじゃねえか。もう迷惑だって言われちまったんだから。あーもう、何考えてんのか全然わかんねえ」 いつものお悩み相談室だ。会を重ねる毎に辛辣になっていく斉藤論だったが、今日はそれが胸に痛い。 「折田さんが分からないのと同じで、向こうだって、折田さんの気持ちなんて分かりませんよぉ」 「だから、もう、振られたんだからいいじゃねえか。やめろよもう、その話は」 「だって、納得できないじゃないですかぁ。お互いの部屋に行ったりしてたんですよね」 「だから、それは別にそういうあれじゃねえんだよ」 「え〜。そんなのおかしい。絶対彼女だってその気があったんだって」 彼女だったらな。 「ちゃんと言ったんですか?」 「何を?」 「だからぁ、ラブですって、うふっ」 「ラブって……俺がか?」 「当たり前じゃないですかぁ」 想像してみる。自分が樹に愛を告白する姿を……。 「……無理だ! むりむりむりっ!」 「なんで? 言葉にしないとわかりませんよ。彼女だって、待ってるかも知れないじゃないですか、折田さんの愛の、こ・く・は・く」 「勘弁してくれよー。俺には無理だ、そんなの」 「女心は折田さんより私の方が詳しいんだから。私はまだ脈があると思いますけど? だから何でも聞いてくださぁい」 だから、知りたいのは女心じゃないんだよ。 「……だけどやっぱ、あれか? 昔付き合った奴って忘れられないもんなのかな。初恋の相手とかさ」 「え〜。初恋なんて美佐、憶えてないですよ。私はその時その時が、初恋みたいだからぁ」 ……全然参考になんねえじゃねえか。 「まあ、どっちにしろ終わったことだから、もういいんだ。飲め飲め!」 はぁいと、こういう時だけ素直な返事に馬鹿笑いしながら酒で流すことにした。 明日には辞令が下りる。忙しくなる。他の事など考える暇もないほど。そうなればいい。そうして新しい場所で新しい生活を始めればきっと、今のこの痛さも忘れられるだろう。 どうやって帰ったのかも記憶にないぐらいに泥酔して眠った。帰り際に斉藤がいつもの調子で「ご馳走さまでしたぁ」と言っていたのは微かに記憶にある。なんだ、また奢らされたのか? まあいいや、どうでも。 翌朝は酷い二日酔いで、半日仕事を休もうかとも思ったが、思い直した。仕事は山積みだったし、辞令も下りる。 なにより、昨日の今日で休んだら、まるで樹に、自分は傷ついたのだと知らせるような気がして、無理やりに重い体を動かした。大輔にだって男のプライドがある。 三月に入ってからは文字通り目の廻るような忙しさだった。 仕事の引継ぎ、挨拶回り、決算に棚卸。休日は引越し先を探しにあちこちを回り、その手続きもしなければならない。 五年も勤めた職場だったから、得意先でも残念がられ、連日送別会に招かれた。何処に行っても惜しまれた。「折田がいなくなると心細い」と、同僚までもが引き止めたいようなことを言う。正直嬉しかった。誠実に仕事をしてきた証拠だと思う。 樹とも何度か引継ぎの打ち合わせをした。平静に、いつも通りを心がけて、少しでも不自然な態度を見せて、相手が重荷に感じないように。それは大輔にとって、苦行にも似た行為だった。 目の前にいるのにひどく遠い。 手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、それが出来ない。 いつか感じた痛みは無くならずに、ずっと大輔の中に燻っていたが、耐え続けた。 樹の仕事ぶりは的確で、この三年で完全に大輔の手を離れた。すでに何の心配もないと確信できる。頼もしさに少しの寂しさを交えて、それでも淡々と残り少ない日々を忙しく過ごした。 心配なのは斉藤の方だ。まだまだ不安が残るが仕方がない。こちらはつきっきりで指導をする。同僚にも所長にもこいつをよろしくと頭を下げて廻った。心配だからな。よろしく頼むよ。この通りだからと、まるで母親のように世話を焼いて、周りの失笑を買っていた。いや、本当、心配なんだよ。みんな、こいつの抜けっぷりを知らないから。「折田さん心配性。大丈夫ですからぁ」と、当の本人までもが笑い飛ばしている。 |
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