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月を見上げている |
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今年は気合が入っているらしい。 店の前で樹は苦笑した。 『和風ダイニングキッチンさらら』 今日の新人歓迎会の会場だ。しかも個室を予約してある。因みに樹の時は、営業所のすぐ裏にある『焼き鳥酔っちゃん』だった。 別にそれはいい。気にしていない。 浅草営業所には、男ばかりが十五人働いている。それと、経理担当のパートのおばさん。女性、五十歳。 社員の内、既婚者八名、独身者六名。結婚経験者一名だ。 去年の春に新人は入ってこなかった。そして二年ぶりにうちの営業所に配属されたのは、今年大学を卒業したばかりの女の子だった。 歓迎会の会場が『酔っちゃん』にならなかったのも、納得できるというものだ。 新人の斉藤美佐は、一言でいうと、大変に……可愛らしい容貌をしていた。 女の子らしい、ふわふわとした柔らかい髪の色と、多少ふくよかさはあるけれど、充分魅力的な、これも柔らかそうな体つきをしている。丸くて大きな目はいつも何だか濡れているようだし、ふっくらとした唇も、官能的といえばそういえる。 なにより彼女の可愛らしさが際立つのは、隣に折田が居る時だ。 身長百四十六センチの斉藤が、折田の後ろをちょこちょことついて回る様子は、まるでピレネー犬にじゃれつくチワワのような、アホウドリをうっかりお母さんと間違えて刷り込まれてしまったヒヨコのようで、見ている人たちを何とも言えない暖かな気持ちにさせていた。 入社式を終え、研修を経て、先週からこの営業所に配属されて以来、折田と共にお得意先廻りをしているが、どこへいっても喜ばれているらしい。二人が並んで挨拶するだけで、営業の八割が成功したといえる。 とてもいいことだ。 樹といる時はさっさとドカ足で歩く折田だが、さすがに斉藤が相手だと、そうもいかないらしく、「折田さぁん。待ってくださいよぅ〜」と綿菓子みたいな声で言われて、苦笑しながら待ってあげている。 本当によかった。これで自分に絡んでくる回数も減っていくことだろう。樹は微笑ましい気持ちで二人を見ていた。 本当によかったと思っているのだ。 だから、店に入って折田が当然のように樹の隣に座って、お疲れさんと、グラスを近づけた時、なんで隣に来るんだよと心の中で毒づきながらも、なんだかちょっと、ほんのちょっとだけ嬉しいような気がして、にやけてしまった事に慌てた。 「なんだよ折田。そっち座るのかよ。お前はこっちじゃないの?」と、折田と同期の佐藤に、斉藤の隣を指差されて冷やかされているのに「そうですよ。そっちのほうが楽しいでしょ」って、笑って場の雰囲気に乗って言えない自分の不器用さが嫌になり、今度は仏頂面になる。 「別に、俺ぁこっちでいいの。だいたい、二人並べて笑いたいだけだろ、お前」 あはは、ばれたかと回りも笑う。 「本社の人事もさ、俺と斉藤さんが並んだ絵ヅラが見たいだけの為にやったんじゃねえの、この配属」 爆笑が起こる。 「それ、あるかも。だってほんと面白いもん、お前ら。見てるだけで癒されるよ、俺は、うん」 所長の柴崎も、まだそんなに飲んでもいないだろうに、すでに真っ赤に茹で上がって、笑って言う。所長につけられた密かなあだ名は蛸さんだ。 「オセロコンビの上をいったな」 「いや、俺はオセロも好きだぜ。こっちは掛け合いが絶妙だしな」 周りで勝手にどちらのコンビがいいだの、好きだのを論議し始めた。 「オセロって、なんですかぁ?」 斉藤が聞いてくる。 「ああ、久島君とのコンビ。斉藤さんが来る前は、久島君が一緒に廻ってたの。で、ほら、二人、色が対照的でしょ? 白と黒で。だから。オセロ」 「あぁ〜。ほんとだ。なんか、おもしろーい」 キャッキャッと斉藤が屈託なく笑う。 「別に、コンビじゃないですから」 面白くもなんともないよ。 「でもぉ、久島さんって、男の人なのにきれいですよねぇ。睫なんか、ばっさーって感じだしぃ。目も綺麗な二重で。肌なんか私よりも白いかも。うらやましいですぅ」 「だろ? 雪国育ちだからな」 折田が自分の手柄のように自慢している。 「久島さん、面白いこととか言いそうにない感じなのに、漫才するんですか?」 しねえよ。 見てみたぁいと言う斉藤に「いや、みなさん、冗談言ってるだけですから。俺、ほんと、面白くないし」と、もそもそと弁解をした。なんとなく所在無い感じがして、仕方なしにあまり好きでもないビールを飲んで場を紛らわす。 「面白いって。僕さ、久島君がこんなにぽんぽん言う奴だとは思ってなかったもの」 所長が茹で上がった上に、食紅で色付けされた正月用の酢だこのような顔で、ねっ、と周りに同意を求めた。 「そうそう、久島君ってさ、見た感じちょっと取っ付きにくそうなんだけど、案外そうじゃないんだよね」 びっくりした。そんな風に思われていたとは思わなかった。 周りもそうだそうだと頷いている。 「折田がかるーく投げたボールをさ、顔真っ赤にして、全力で投げ返している感じ? 見ていて楽しいよな」 「おー、褒められたな。よかったよかった」 折田がいつものように、グローブみたいな手で頭をかき回す。酒が入っているせいで、いつもより力が入っているから、体ごとぐるんぐるんと回された。 「ちょっと。酔いが回るって」 「これで北海道が好きになってくれたらな」 折田がなおも樹の頭を掴んで、まるで犬にするように、よっしゃっしゃっしゃ〜と撫で回す。 「だからっ。俺、嫌いだなんて一度も言ってないじゃないですか」 「そうだけどさー。俺が言うと、嫌ぁな顔するじゃねえか。俺はもっとラベンダーとか、犬ぞりの話とかしたいの! お前と! 楽しいんだぞ、犬ぞりレース」 「あーもう、だから、本当に、そんなに好きなら住めばいいじゃないですか。向こう行って、思う存分、そりでもなんでも引いてきてください!」 「えー、俺がそり引くのー? そりは犬が引いてくれよ」 「引けますって。是非、そりに犬乗っけてレースに参加して下さい。俺、遠くから応援してますから」 爆笑された。 これこれ、これが面白いんだよと言われ、そうなのか? 自分では人と一線を引いているつもりで、出来ていないのか? と自問する。 「お二人って、仲いいんですね」 と斉藤に言われて 「そうだろ」と 「そんなことないです!」 が同時に重なり、また爆笑されて、何だかどうでもよくなってきた。 どっちにしろ折田は樹の教育係から斉藤に移ったのだし、オセロコンビもこれから自然と解消になっていくだろうから。 二人はとてもお似合いだし。 樹はやけくそのような気分になって、何がやけくそなのかもよくわからないけれど、いつのまにか、ビールからチュウハイに替わっているグラスをあおった。 |
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