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月を見上げている
6

 巨木に蝉……。
 営業所の入り口付近で折田が斉藤に何か言っている。
 大概が、得意先で斉藤がやらかしたことへ対するお小言か、これから出向く先への注意事項の確認だ。
 蝉の季節ももうとっくに終わっただろうという、それでもまだ残暑の厳しい九月の初め。
 もう珍しくもなくなった、二人の風景を目の端に置きながら、樹は自分のデスクで報告書を打ち込んでいた。
 樹の机が荒されることも少なくなっていた。
 いつも樹の机を食卓代わりにしていた折田が、最近は斉藤と外でランチをとるようになったからだ。出先でとることも多いし、新しく店が出来たからと、連れて行かれることもあるらしい。夜も一緒に飲むことが多い、らしい。一日中一緒に行動しているのだから当然と言えば当然なのだろう。
「駅向こうにある店のパスタが美味しいらしいですよ。今日はぁ、そこに行きたいですぅ」
 打ち合わせをしているのかと思っていたら、ランチの相談ですか。
 何がパスタだよ。柄じゃねえだろ。
 蕎麦が似合いだ、蕎麦が。
 一人毒づいて、ノートパソコンの蓋を乱暴に閉める
 いや、別にイライラしている訳じゃない。
 机を荒されなくなったのはいい事だし、折田が誰と飲みに行こうが、美味しいパスタを食べようが、樹には関係のない事だ。
 廻りが二人を何となく、いい雰囲気として見ているのだって、別にどうでもいい。
 オセロコンビなんて、最初から不本意だったし、一人で仕事をこなせるようになって充実感だって増した、はずだ。
 だから、何ヶ月も前の神社での事だって、向こうは全然忘れているはずで、
 自分だって、ちょっと飲みすぎて休んでいただけの話で、
 そんなことを思い出して、時々顔が赤くなることのほうが可笑しな話なわけで、
 外回りから帰って来て、真っ先に大きな体を捜してしまうなんて事は、ないわけで、
「おかえり」なんて、あの大きな笑顔で迎えられると、胸がぎゅっと掴まれた様になることなんて、絶対にない訳で……。
 一人、心の中で言い訳しているセリフが、何だかどこかで聞いたような独白調になってしまうのは、やっぱりあれの影響なのかと、樹は一人ノートパソコンの前で腕組みをしていた。
「なあなあ、お前、今週末は?」
 いきなり上から声が降ってきて驚いた。
「え、いや、今週は……」
「なんだよ。先週も駄目だったじゃねえか。接待入ってるのか?」
「あー、えっと……」
 本当は何も予定は、ない。
 だけど毎週毎に誘われると、ちょっと戸惑ってしまう。
 いつも暇だと思われるのも癪だけれど、折田にだって都合があるんじゃないか、と考えてしまう。例えばデートとか……。
 そうなのだ。樹は週末になると、折田の部屋でDVDを観るようになっていたのだ。
 あの新人歓迎会の夜からしばらく経った頃、樹は折田に俺ん家来ないかと突然誘われた。
「俺、とうとう揃えちゃったんだよね。例のドラマ」
「……で、なんで俺が折田さん家に?」
「一緒に観るから」
 当然だろ? とでも言うように得意満面に言われて面食らった。
「だから、なんで俺が? 一人で観ればいいじゃないですか。じゃなけりゃ、誰か他の人と」
 脳裏に斉藤の姿が浮かんだ。
「嫌だ。一緒に観る。絶対観るべきだって。俺、お前と観る為だけにわざわざ揃えたんだもん!」
 もん! って、あんた……。
「お前と観たいの。お前、観たこともねえくせに、鼻でふんって笑っただろ?」 
 ふんって……そんな覚えはないけど。
「観たら感動するって! お前、絶対泣くって。俺はそれを見てみたいんだよ!」
 こっちはそんなもの見られたくない。っていうか、それ、完全に目的違ってるし。
 だけど、お前の為に揃えたなんて言われると、ちょっと、何て言うか、観ないと悪いかな、なんて思ってしまって、くすぐったいような気持ちになってしまって、樹は結局その週末に折田の部屋に行くことになってしまった。


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