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月を見上げている
7

 仕事が終わると、「お二人で何処か行くんですかぁ」と、誘ってもらいたそうな斉藤に、「今日はちょっと。たまには男二人でな」と言い訳をして振り切った。少し申し訳ない気持ちになったけれど、でも久しぶりに折田と歩く足取りは軽く、相変わらず大股で歩く折田の後を早足でついていくのも楽しかった。
 弁当とビールとちょっとしたつまみを買って折田の部屋に行く。
 そこはマンションとアパートの中間といった感じの1DKだった。
 雑然とはしているが、前の晩に少しは片付けたらしい。部屋の隅に脱いだ服とも、洗濯物とも思われる衣類が積まれていて、ビールの缶の入ったゴミ袋が台所の隅に置いてあった。
 十二畳程の部屋の広さだが、そのかなりのスペースをダブルベッドが占領していた。
「ほら、俺さ、この体だろ。布団じゃ足がはみ出しちまうからさ」
 納得した。
 いそいそとした様子で窓を開けにいく折田の後ろについて何となく部屋を見回していた樹は、ベランダにこの部屋にはそぐわない可愛らしい植木鉢を見つけた。土が入ったままだったが、何も生えてはいなかった。
 前の恋人のだろうか。ここで花なんか育てたのだろうか。折田は気にする様子もない。置きっぱなしになっているのだから、今はここに来る女の人はいないのかなと、ちょっと安堵する。
(いやいや、俺が安心することはないんだって)
 すぐに鑑賞会になるのかなと思っていたら、ゆっくり観ようぜと言われて、先に二人で弁当を食べた。
 風呂まで借りて、泊まっていけばいいと言われ、焦った。
(泊まるって、このベッドで? 二人で寝るのか?) 
 呆然とダブルベッドを見ていたら「心配しなくても、客用の布団ぐらいあるって」と笑われた。お前、本当面白いなと。
(だよな。俺、考えすぎ)
 何を考え過ぎていたのかは、言わないでおく。
 折田に借りた、パジャマ代わりのスウェットは大きすぎて、袖も裾も折らないといけなかった。洗剤の匂いと、微かに折田の匂いがするスウェットは、樹を落ち着かない気分にさせて、だから変な想像をしてしまうのだと自分を納得させた。
 二人でベッドを背もたれにしてDVDを観た。
 さすがに名作と言われるだけあって、ドラマは面白かった。
 初めは隣でビールを飲みながら、ドラマよりも、それを観ている樹の方を観察している様子の折田が気になったが、そのうち話にのめり込んでいった。
 一話が終わって、ふうっとため息を吐き、持ったまま忘れていたビールに口をつける。
 折田が満足げにこっちを見ていた。
「な、面白いだろ?」
 ちょっと悔しかったけれど、その通りなので、素直に頷いた。
「やっぱりなー。はまると思ったんだよ」
 嬉しそうに笑う顔に、樹は来てよかったなと思った。
 そうやって二人のドラマ鑑賞会が始まった。大体はビールを飲みながら、たまに折田の作ったぞんざいな男料理をつまんだりしつつ、一回に二、三話のペースでドラマを観て、他愛ない話をして泊まっていくパターンだった。
 そうして今週末は断ってしまったが、じゃあ来週の土曜日なと、たまにはお前ん家に行くよと、強引に約束させられた。どうせ何もないんだろうと言われ、言い訳が思いつかなかったし、正直嬉しい気持ちもあったから。
 約束の日の夕方近くに、折田がビールと弁当を持ってやってきた。紙袋にはDVDと、自分の着るスウェットと歯ブラシなんかのお泊りセットが入っていた。当然泊まるものだと思っているらしい。
 不承不承といった形で部屋に招いた樹だったが、実のところ、初めての折田の訪問に、みっともないぐらいに浮き足立っていた。
 樹の部屋は2DKで、居間にしている六畳の部屋と、奥に寝室がある。
 朝から部屋を掃除して、かといって、あまりきれいにしすぎると、まるで楽しみに待っていたと思われるのも恥ずかしく、わざと雑誌を床にバラまいてみたり、いや、これじゃ暴れたみたいじゃないかと、また片付けてみたりして。客用の布団をベッドの下に敷いてみて、一人で顔を赤くして、畳んでまた押入れに押し込んだり――まるで阿呆のようだった。
 そんな樹の苦労など露ほども知らない折田は、珍しそうに部屋を見回して「エロ本はどこに隠した?」などと、中校生のようなことを言ってからかった。
 そしていつものように弁当を食べて、ビールを飲みながら二人でドラマを観た。
 並んで座るとき、折田はいつも樹の右側にいる。なんとなく二人の定位置が決まっているのが、くすぐったくって、少し笑える。
「あの妹が可愛いんだよ」
「ですね。でも、兄ちゃんも情けなくて、いい味だしてますよ。何歳ぐらいだろ? 演技うまいし」
「お前さ、何人兄弟?」
「二人。姉が一人います」
「ふうん。そんな感じがするな。生意気な弟だったんだろうな」
「そうでもないですよ。あいつ、強いし。俺、いっつも泣かされてました」
 ふうん、と、折田は楽しそうに樹の家族の話を聞いている。
 別に語ることもないような普通の家族だ。仲が悪いというほどの事もないし、べったりとすることもない。
 旅行にはよく行った。近所の仲のよい家族と一緒に、ドライブや温泉に行ったし、キャンプのようなこともした。
 そういえば富良野にも行ったことがある。あの時はまだラベンダーの時期じゃなかったよな、と思い出す。
 とりとめもなく考えていて、ふと、自分が折田の傍に寄りすぎていることに気がついた。ビールを飲んで、自分の部屋であることにリラックスし過ぎてしまった。
 あからさまに飛びのくのも、意識しているようで気まずいから、少しずつずれて遠ざかろうとした。動きがギクシャクしてしまってどうしようもない。
 そんな樹の様子を知ってか知らずか、すっと折田の手が下りてきて、いつものように優しく樹の髪を撫で始めた。
 いつものしぐさなのに、いつもと違う気詰まりを感じて、樹はとっさに首を竦めた。
「あの、えっと、ちょっと」
 どぎまぎしてしまって、いつもみたいに振り払えない。
 それでもこの状況はちょっとやばいだろうと、いや、実際は何がやばいのかはわからないのだが、いやいや、本当はやばいのは樹の方だけなのだが。



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