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月を見上げている |
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抗議の意味を込めて、折田の目を仰ぎ見る。 「お前ってさ……」 まともに目があって動けなくなってしまった。 「なんかさ……前から思ってたんだけどさ」 折田の目が切なそうに見えるのは、自分の気のせいなのか? 「え? なに? なんか変? ちょ、ちょっと」 いきなり、ワシっと頭を掴まれ、次の瞬間、ぎゅうっと抱きしめられて、ガシガシと乱暴にかき回された。 「ちょっと! ちょっ……」 パニックだった。 もがいても力強く抱きこまれて身動きが取れない。 「この感触が似てるんだよ」 なおも頭をかき回しながら折田が切なそうに言う。 「似てる……て、何が?」 嫌な予感に動きが止まった。 両方の手で樹の顔を挟んだ折田が樹の目を見つめてくる。 「家で飼ってる、犬に」 そう言うと、「ゴン太!」と叫んで、体ごと抱きこんで、ぐりぐりと撫で回された。 (犬? 犬なのかよ、俺は。犬の代わりかよ) 力が抜けた。 「すげー似てんだよ。この、毛の感じとか、触った時の、こう、硬さとかがよ」 「……はあ」 あまりのことに何も言い返す事が出来ない。 「可愛いんだよ。今みたいにテレビ観てるとさ、こう、膝の上に乗ってきて、ちょこんとここに頭乗っけて、一緒に観るんだよ」 自分の膝をぽんと叩いて、折田が嬉しそうに愛犬の思い出話を語っている。 「風呂も俺が入れてやってさ。あいつ今、誰に入れてもらってんだろ。俺以外だと結構暴れるんだよな。ああ、会いてえなあ」 慈愛に満ちた顔で樹を見つめる目は、樹を通り越して実家にいるゴン太に向けられたものなのだろう。 「俺は、折田さんの膝には乗らないし、風呂にも一緒に入りませんから」 やっとそれだけ言って、折田の腕から逃れた。 「そりゃ、そうだよな」 あはあはと笑って、続き観るか、とリモコンを操作している。 結局その日は二話目まで観て眠ることになった。二つ目の話はほとんど頭に入らなかった。 ベッドの下、大きすぎる体は客用の布団から足をはみ出させている。 樹はその寝顔を見下ろして小さくため息をついた。 「犬、ね。どおりで俺に構ってくるわけだ」 曝睡している男は樹の問いかけに答えない。少し開き気味の口から規則正しい呼吸音が聞こえる。楽しい夢でも見ているのか、その頬は緩んでいて、それが憎らしい。 暗がりの中で樹はその寝顔をじっと見つめていた。 気づいてしまった。折田に抱きこまれた時の自分の気持ちに。お前が、と言われた後に、どんな言葉を期待していたのかを。 会社で折田の姿を目の端で捜してしまう癖のわけも、斉藤と一緒にいる姿にイラついてしまうことも。 本当はかなり前から気がついていた。 この鈍感で、傍若無人で、そして優しいこの男を――好きだということを。 それでも気づかない振りをしていた。認めるのが怖かった。 好きだと気づいてもどうしようもないことが分かっていたから。 この想いが遂げられる事がないということが、分かっていたから。 なにかとちょっかいをだされるのが、本当は嬉しかった。 樹に触れる大きな手が、大好きだった。 さっきあの胸に抱きこまれて、心臓が壊れるんじゃないかというほどドキドキした。その胸に顔を埋めたかった。抱きしめ返したかった。 犬だと言われて、折田が自分に過剰に近づいてくるわけを知って、心底がっかりした。 結局、樹は折田の可愛がっていた犬の身代わりだったのだ。 「……わん」 寝ている折田に向かって鳴いてみる。 「羨ましいな」 自分に似ているという、ゴン太に話しかける。 (この人の膝に乗っけてもらえんのか。夜も一緒に寝たりしてたのかな。俺、お前の身代わりなんだってよ) それでもいいか。さっきみたいにあの腕に抱いてもらえるなら……。 一瞬そう考えて、馬鹿なことをと思わず苦笑いをする。 何かの代わりになることなんて無理なことを、自分は知っているじゃないか。 それがどんなに哀しくて、自分も、人をもどうしようもなく傷つけることをお前は知っているじゃないか。 過去の失った恋を思い出す。 いや、失ったわけじゃない。最初からそんな恋はなかったのだ。恋人として過ごしたあの時間に、樹自身の存在は何処にもなかったのだから。 自分の布団と違う感触に違和感があるのか、折田が顔をしかめながら寝返りをうった。 少しでも隣に寝ている人のぬくもりを感じたくて、樹はベッドの端ギリギリまで身を寄せた。 |
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