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続・月を見上げている
2
 爽やかな新緑の下、小さな教会で姉と幼馴染の結婚式が行われた。
 笑顔に満ち溢れた二人は、この上なく幸せそうだった。花嫁は綺麗だったし、親も友人達も心から祝福した。周りに冷やかされながら、前と変わらない、少し困ったような、照れたような笑顔をした花婿に、素直に「おめでとう」と言える自分が嬉しかった。本当に幸せになって欲しいと心から願う。
 式の後、花婿の友人の持つレストランでのささやかな、それでも心のこもったパーティーに出席した後、両親と家に戻ったのは、夕方というよりは夜に近い時刻だった。
 式服を脱いで、疲れているだろう両親に、労いの意味でコーヒーを入れてやった
 父親は緊張が解けた顔でコーヒーをすすり、母親は式までの苦労だの、ドレスが大変だっただの、天気が良くてよかっただのと、興奮してしゃべりまくっている。でもいい式だったわねと、最後に言って笑った顔は少し疲れたようだった。それでもあまりしんみりとした雰囲気にならないのは、新婚旅行を終えたら、二人はそのまま隣家に帰って来て、そこで新しい生活を始めるからだとわかる。
 姉夫婦が近くにいてくれていてよかったと思う。自分は両親に、今日のような幸せを与えてはやれないのだから。
 この家に住んでいた時からの定位置に座って、コーヒーを飲みながら、大輔はどうしているだろうかと考える。 
 樹が出掛けてしまった後、一人で街をぶらつくと言っていた。夕飯時は過ぎている。ホテル以外の何処かでとったのだろうか。
 昨日、空港から向かったホテルの部屋は、普通のツインルームではなく、セミスウィートだった。樹をロビー近くの喫茶室に待たせておいて、一人でチェックインを済ませ、後から携帯で部屋番号を知らされた。
「だってよ、男二人でこの部屋に案内されて入るわけにはいかないだろ?」
 手馴れた様子に胸がざわつく。こいつ、いつもこういうことをしてるんじゃないか?
 樹の気持ちを見抜いたように、大輔が笑った。
「なんか疑ってるようだけど、俺だって初めてだからな。こういう部屋に泊まるのは」
 本当にこういう時だけこの男は敏感だ。前のとき、ベッドの引き出しからコンドームを出したときも、同じように笑っていた。
「お前が英語だ、セミナーだっていって勉強している間に、俺だっていろいろ調べたんだよ。暇だったからな」
 通販で潤滑剤も買ったんだと、また恥ずかしいことをへらへらと告白してきた。
「だから、そういうことを、いちいち言うなって!」
 この男はまったく、羞恥心のかけらもないのかと抗議しようとしたら、その場で抱き寄せられた。
「無駄にならなくてよかった」
 包まれた腕の中で、抗議の言葉が溶けて無くなっていく。
 樹がたった一度と誘った行為に、この男は真剣に応えようとしてくれたのだと思い知る。同情心につけこんだと、自分を責めて後悔し、勝手に斉藤さんとの事を誤解して、一人傷ついて大輔を避けていた間も、なんとかしようとしてくれていたのだ。
 そんな大輔を傷つけてしまった申し訳なさと、失わずに良かったという安堵とが、ごちゃ混ぜに樹の胸に去来して切なくなる。
 不器用に、それでもまっすぐに向かってきてくれる気持ちに応えたくて、大きな背中に腕を廻した。意地っ張りな性格は、素直な愛の言葉を紡ぎ出せない。それでも精一杯廻した腕に気持ちを乗せて、抱きしめた。
「……会いたいな」
 醒めてしまったコーヒーカップを包んだまま考えた。明日になれば会えると分かっていても、今、会いたい。本当に我慢がきかなくなったと苦笑する。あいつのせいだ。
 コーヒーを持ったまま自分の部屋へと上がって、電話をかけた。三度のコールで相手がでた。
『よう。無事終わったか?』
「うん」
 今朝別れたばかりなのに、その声に懐かしさが込み上げてくる。
「今、なにしてる? 外?」
『いや、部屋。ちょっと横になってた』
「飯は?」
『昼はラーメン食った。ホテルの人に薦められた所。旨かった、とんこつが』
「なんで北海道に来てとんこつなんだよ?」
『だって、それが旨いって言われたんだよ』
 他愛のない会話が楽しい。
『……で、式はどうだった?』
「うん。いい式だった」
『……そうか』
「花嫁綺麗だった。俺に似て」
『っはは。そうだろうな。今想像した』
「すんなよ」
 ははっと、また笑ってしばらく沈黙する。
「夕飯は? これから出掛けるのか?」
『ああ、もうちょっとしたらな。近くにある居酒屋で軽く飲みながら食べる』
「……そっち、行こうか?」
 会いたい。声が自然と甘くなる。
『……そういう可愛いこと言うな』
「別に可愛くない」
『せっかく帰ったんだ。ご両親と食べろ』
「……」
 会いたいのに。
『明日、楽しみにしてる。今日一日孝行しろ。一日ぐらい我慢できるだろ?』
 出来ないって言ったら?
『それに、飯なんか一緒に食ってみろ。……帰したくなくなる』
 電話の向こうの声が深くなって、体の奥が熱くなった。それでもいい。帰らなくたって。だって、昨日も……
『な?』
 昨日も最後までしなかったじゃないか。明日大事な式だからって。
 足りないんだ。
 飛行機の中からずっと、我慢させられて、ホテルでも散々されたけど、何度もイカされたけれど、もうそれだけじゃ充たされない。深く繋がりたい。大輔を体の奥で感じたい。そうしないと、もう駄目なんだ。こんな風にしてしまったのは誰なのかと、恨む気持ちが湧き上がってくる。
「……我慢したら」
『ん?』
「今日一日我慢したら……明日は……」
 声がそれと分かるほど、情欲にまみれて掠れてくる。
「……してくれるのか?」
 愛してくれるのか? めちゃくちゃによくしてくれるのか? 抱いてくれるのか?
『……おまえ……』
 相手が電話でよかった。昂ぶりきったこの顔を見られなくて、よかった。電話の向こうで息を呑む様子が窺える。 
 いや、見せたいのかも知れない。発情している自分を晒して、襲いかかって欲しいのかも知れない。相手がそういう自分の姿に興奮するのを樹は知っている。
 電話の向こうで固まってしまった相手に、昨日までの欲求不満をぶちまけて、いつも好き勝手やっているお返しだと、少しだけ勝ったような気持ちになった。
「わかったよ。じゃあ、明日な」
 ケロッとした声を出して笑ってみせる。
「……てめぇ、明日覚えてろよ」
 ああ、明日が楽しみだ。
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